フォークナーと日本文学
(編)諏訪部浩一 日本ウィリアム・フォークナー協会
判型 | 四六判上製 |
ページ | 448 |
価格 | 4,800円(税別) |
ISBN | 978-4-7754-0262-7 |
Cコード | |
略号 | |
発売日 | 2019年10月20日 |
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- 解説
「南北戦争後の優れた文学の復興と同様のことが、ここ数年のうちに日本でも起こるだろう、すなわち、諸君の廃墟と絶望の中から、世界がその言葉を聞きたいと望むような日本人作家が現れ、日本限りの真実ではなく普遍の真実を語るようになるだろう」──1955年のフォークナーの予言の意味が今ここに顕在化する。
- 目次
序章 回顧と展望(諏訪部浩一)
第 I 部
「歴史離れ」の方途──フォークナーと森鷗外(新田啓子)
小説と「フィロソフィー」──フォークナーと徳田秋声(小林久美子)
家・父・伝説──フォークナーと島崎藤村(後藤和彦)
主観共有の誘惑──フォークナーと谷崎潤一郎・今村夏子(阿部公彦)第 II 部
アメリカ南部と日本のジレンマ──フォークナーと横溝正史(大地真介)
近代と育ての〈母〉──フォークナーと太宰治(竹内理矢)
歴史の構想と体現──フォークナーと武田泰淳(笹田直人)
軍隊の描き方──フォークナーと大西巨人(金澤 哲)第 III 部
自然とジェンダー、性と死──フォークナーと三島由紀夫(クリストファー・リーガー著/重迫和美訳)
森の谷間のヨクナパトーファ──フォークナーと大江健三郎(藤平育子)
雨宿りの名残り──フォークナーと倉橋由美子(花岡 秀)
「切手ほどの土地」──フォークナーと中上健次(田中敬子)
水の匂い、キャディの行方──フォークナーと津島佑子(千石英世)第 IV 部
思い出せ、と男は言う──フォークナーと青山真治(中野学而)
サーガという形式──フォークナーと阿部和重(諏訪部浩一)補遺
「故郷の土地」と外なる世界──ウィリアム・フォークナーと日本作家たち(大橋健三郎著/平石貴樹訳)
索引
- メディアほか関連情報
■『週刊読書人』2020年1月17日に書評が掲載されました
https://dokushojin.com/article.html?i=6501
■『アメリカ文学研究』第57号(2021年3月)に書評が掲載されました
だからこそ今、大橋(健三郎)の次の指摘の意味を我々は考えなければならない。「戦後によって戦時期の抑圧から解放された」(415頁)作家──大橋はその例として福永健彦を挙げている──が「『普遍性』…の文学を創造したいと望」(416頁)む時、その「普遍性」が目を背ける記憶は何か。何故日本の戦後において、冷戦期に合衆国の文化的スポークスマンであったフォークナーが「普遍性」を描く作家でなければならなかったのか、そして何故戦後の日本人が彼にこれほど影響を受け続けているのか。(森有礼・中京大学教授)
- 著者紹介
- 関連書籍