2024.11.13【対談】小川公代×小林エリカ「目に見えないものと身体」
2024年6月1日(土)に今野書店にて開催された『ゴシックと身体──想像力と解放の英文学』(松柏社)&『女の子たち風船爆弾をつくる』(文藝春秋)W刊行記念トークイベントの内容を抜粋し編集したものです。
二人の著書の共通点はゴシックだった? メアリー・シェリー、エミリー・ブロンテ、シルヴィア・プラス、メアリ・ウルストンクラフト、野上弥生子、カミーユ・クローデル、エミリー・ディキンスン、リーゼ・マイトナー、エドマンド・バーク、『虎に翼』、アンネ・フランク、ドロシー・ワーズワースなどを通して、見えなくされてきた女性たちの歴史が開かれていきます。
小川 今日は対談の機会をいただき、ありがとうございます。
小林 ありがとうございます。ゴシックを語るにあたって、メアリ・シェリーやエミリー・ブロンテの話もしたいなと思っています。
小川 そうですね。『女の子たち風船爆弾をつくる』が、メアリ・シェリーの作品を彷彿とさせる立ち位置というか、スタンスというか。そういうことを語っていきたいなと思っています。
小林 実のところ『ゴシックと身体』を読むまで、ゴシックってあまり意識したことがなくて。しかし私、黒い服とか、白いレースみたいなものがすごく好きなので、そういう格好をしているとゴシックだね、と言われたりすることはありました。けれど、自分はそれを表面的な部分でしか捉えられていなくて、深く考えたことがなかった。小川さんがこの本の序論で「ゴシックとは因習道徳に抗う方法論として、想像力と倫理を効果的に運用する近代における新しい装置」とお書きになっているのを読んで、そうか! ゴシックってそういうことだったんだ! やっぱりゴシックが好き!と、なりました。
■無意識に惹かれてしまう世界がゴシックだった
小川 私はゴシックの建築や小説にものすごくのめり込んだ時期があって、その頃はそれがなぜなのかまったくわからなかったんですが、無意識に自分が惹かれてしまう世界がゴシックだったんですよね。多分自分なりにそれを理解しようとして何十年も研究を続けてきているんですけど、ちょっと分かってきたのは、『ゴシックと身体』では男性のゴシック作家も扱っていますが、女性が自分たちの表現方法として選んだのがゴシックだった、というのがやはり大きいんです。エミリー・ブロンテの『嵐が丘』もゴシックです。私は小林さんの作品、とりわけ『トリニティ、トリニティ、トリニティ』もそうだと思っていますが、女性たちはドロドロした言語化できないものが身体の中に蓄積していて、それが物語のなかで表現されている。特に少女から大人に成長していく女性は、自分たちの言葉がないまま、何を言いたいのかもわからないまま口を塞がれて生きてきていると思います。近代黎明期にそういう体験をして物語にしたのが、メアリ・ウルストンクラフトなんだと思います。彼女は『女性の権利の擁護』を書いた人としては有名ですが、良質のゴシック小説を書いているのを誰も知らないし語られてもこなかった。ウルストンクラフトは、女性の経験を言語に置き換えることはなかなか難しいからこそ、ゴシックの世界の中でそれを表現したのかもしれない。多分、小林さんの『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』で紹介されている女性たちってみんなそうですよね。例えば、シルヴィア・プラスの『ベル・ジャー』もそう。プラスは頭脳明晰で詩の才能にあふれ、社会に期待されてアメリカからイギリスに留学します。私も若かりし頃はシルヴィア・プラスと夫であるテッド・ヒューズに憧れてケンブリッジのグランチェスター・メドウというケム川のそばをずっと歩いていました。学生時代の二人が手をつないでここで何を語ったんだろうと思いながら。小林さんが書かれている通り、女性はこんなに才能あふれていても選ぶ側には立てなかった。子供を産んでケアラーとなり、さらには夫の不貞が明らかになって、離婚する。それでいっぱいいっぱいで、精神疾患も悪化し、最終的に自殺をする。
小林 グランチェスター・メドウ! 私も歩いてみたいです! ロマンチックではあるけれど、結局プラスが書いた本の編纂もテッド・ヒューズがやっちゃうし、彼が好ましくないと思った原稿は捨てられる。なんて無念だろうと。シルヴィア・プラスというひとりの人間が、結局のところ唯一自分の手で選ぶことができたのが、自分の死に方だったのか、と考えたら本当に無念でしかなくて。
小川 無念さ。プラスが最期に噛み締めた感情かもしれません。とはいえ、『ベル・ジャー』を読むと、私にとってシルヴィア・プラスはある種のロール・モデルではあったと思い至ります。
小林 わかります。でもシルヴィア・プラスをロール・モデルにすると行き詰まるんですよね。子供を産んだところで結局ガス自殺に辿り着いてしまう。そこしか選択肢がないから。
小川 小林さんは子育てもしながらこれだけたくさん仕事をされていて。だから行き詰まったりするんじゃないかとも思います。
小林 そう、しょっちゅう行き詰まります(笑) 子育てだけでなく、家庭のこと、介護のこと、小川さんはじめ、ケアを担いながら仕事をしている人たちすべてに通じることだと思います。そんなとき自分にとってのロールモデルが、川に入って死んでしまうヴァージニア・ウルフか、ガス自殺するシルヴィア・プラスかしかなかったというのが私は本当に苦痛で。
小川 この『女の子たち風船爆弾をつくる』の筆致の力強さは、おそらくその苦痛を共有するというところから来ていますよね。プラスやウルフや数多くの女性の無念さがどれだけ身に染みてわかっているかが伝わってくる本でした。
小林 『翔ぶ女たち』ではプラスのことも書かれていますよね。
小川 あっ、そうでした。それはまったくの偶然なんですけれども。
小林 そうそうそう。プラスの「ダディ」のことも書いてあって、そこからテイラー・スウィフトにまで繋がってゆくくだりは、エキサイティングかつ、膝を打ちました。
■家庭の中こそがゴシックの舞台
小川 『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』でプラスのことを書いている小林さんの気持ちときっとほとんど同じだと思います。「ダディ」という詩は本当に難解です。プラスの詩も、そして小林さんの作品もですが、家父長制という問題が通底しています。プラスは自分の父親である「ダディ」のことを語っているのですが、その父親のことが理解できない。父親はドイツ人で、母親はユダヤ人だった。両親の世代だと、ナチスの大量殺戮が起こっている時代。父親がナチスだったわけではないんですが、その支配的なイメージを夫のテッド・ヒューズにも重ねて考えるようになる。シルヴィア・プラスという人間は、権力を持つ父親と権力を持たない母親の間に生まれ、自分は父親のようにもなりたくないし、母親のようにもなりたくない。権力者として横暴になることもできないし、無力になることもできない。これはさっき小林さんが行き詰まりとおっしゃった、そういうことに通じるかもしれませんね。選択肢が少ない中で自分は何を選んでいったらいいのか。言葉にならないと言ったのはそういうことです。ゴシックの世界ではそれを物語として表現できる。ウルストンクラフトは『女性の虐待あるいはマライア』というゴシック小説を書いていました。主人公は結婚しますが、夫には友人にお金のために体を売られそうになる。普通、ゴシック小説というと、古城や修道院が舞台になりますが、そんなものが一切なく、シンプルに家庭の中こそがゴシックの舞台だというわけですね。主人公は暴虐な夫から逃げますが、夫が追いかけてきて、子供からも引き離され精神病院に入れられてしまう。この小説はリアルすぎるあまりに読まれていないんだと思います。
小林 リアルすぎて(笑)
小川 リアルすぎてね(笑) そういうことでいうと、『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』はまさにゴシックなんですよ。
小林 なるほど(笑)
小川 ウルストンクラフトのゴシックは娘であるメアリ・シェリーにも受け継がれますが、小林さんのこのご本にもそのゴシックの精神が継承されていることに今回読み直して気づいたんですよね。
小林 これはゴシックだったんだ(笑)
■二人の著書の共通点はゴシック?
小川 小林さんが『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』で取り上げられているカミーユ・クローデルも、ひどい目に遭わされました。カミーユはロダンと恋人関係になったけれども結局妊娠して中絶させられ、捨てられて。
小林 精神病院出てきますよね?
小川 そうそうそう。
小林 困ったときに女は最終的に精神病院に送られてしまう。
小川 この、女性がなぜ精神病院に入れられてしまうのかという問題は、ゴシックと深い繋がりがあると私は思うんです。ウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』というフェミニズム本の中でさえ、監禁、閉じ込められる、鎖で繋がれる、足かせをはめられる、中国の纏足も出てきます。すでに18世紀に中国の歴史がウルストンクラフトに語られていたんだと思うとちょっとびっくりしません? 中国では女性の足を小さくすることによって美を追求するわけですね。それをウルストンクラフトは閉じ込めの比喩として使っているんです。女性はみな纏足で、足を小さくすることによって女性を家から出られなくするんですね。だからウルストンクラフトのフェミニズムには監禁される女性、自由を奪われる女性がたくさん出てきます。そういう意味で、『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』は「ゴシック」なのではないでしょうか。
小林 確かに。小川さんが『ゴシックと身体』のあとがきで、ゴシック小説の言葉が自分の生を助けてくれたと書いていらしたのがすごくわかる気がして。閉じ込められた女性たちがどういう目に遭ってきたのかを俯瞰し、客観的に見る。
小川 そうですね。文学や物語は役に立たないとか生産性がないと思われる人が多いかもしれません。もちろん、今日これを読んだら次の日にビジネスで成功するみたいな本は存在しません。でも、小説を読むとじわじわじわじわくるものがあって、それが今おっしゃってくださった俯瞰する能力なのかなと。ゴシック小説は何度も読んでいくうちにパロディのパターンが見えてくるんですよね。この世では理不尽なこと、不正義が起こっているとか。エミリー・ブロンテにも同じパターンが見えてくるようになります。読めば読むほど、ゴシック小説の中には、家父長制に囚われていながらも、そこからどうにか逃れようと頑張っている女性たちがいる。ラドクリフの『ユドルフォの謎』に登場するエミリーという女性は、殺されそうになっている叔母の命を救うことに全力を傾ける主人公なんです。それまでさんざんいじめ抜かれていたんだから放っておいてもいいのに。自分がどんな目に遭っても、常に自分だけじゃなくそこにいる人たちの命も助けようとするというプロットが200年前から物語として流通してきている。長いこと私の中で醸成されてきた「ケア」という倫理はゴシックのヒロインたちによって培われてきたように思います。ヴァージニア・ウルフというモダニズム作家の言葉を借りれば、「横臥者のまなざし」となりますが、これは前回小林さんと対談させてもらった時に盛り上がったポイントなんですよね(『早稲田文学増刊号』、小川公代+小林エリカ「対談 ケアを見つめ、家族を思う」)。『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』と『女の子たち風船爆弾をつくる』の二冊はそれを見事に実践されている。ゴシックは、最弱の横臥者とも呼べる弱いヒロインたちの視座から世界を見ることを実践しているわけですが、この二冊はゴシックではありませんが、方法論としては近いものを感じます。
■仕事を取るなら、家庭や子育て、愛を諦めなければいけないのではないかという不安に慄いていた
小林 先ほどのゴシックのお話にもあったみたいに、家父長制や、例えば今起きている戦争に対して、一番弱いとされている横臥者の人たちがこれまでどうやって抗ってきたのか、どういう戦術を使ってやってきたのかを見ていくと、すごく励まされる。例えばメアリ・ウルストンクラフトのゴシック小説がそこまで読まれていないということを私も今回初めて知って。しかもウルストンクラフトとウィリアム・ゴドウィンの子供がメアリ・シェリーであることを実は私全然知らなくて、『フランケンシュタイン』のあの人が?!って結構驚いて。世代を超えた命がけの抵抗、その死屍の上に私たちの今があるんですよね。かねてから、メアリ・ウルストンクラフトが、メアリ・シェリーが、見えないバトンを受け渡してゆくようにして、小さな抵抗を繰り返してきて、いろんなやり方で戦ってきてくれた人たちの、多大な犠牲の上に、ここにいる私の、私たちの、今がある。女である私が、働いたり、こうして休日の昼間外へ出て人前で喋れるって、実は少し前までは全然あたりまえじゃない。『女の子たち風船爆弾をつくる』を書いていけばいくほど、それが本当に稀有だったことを痛感する。女の子は子ども時代は父親のもの、結婚してからは夫のもの。女の人の名前がいかに残されていないかということからも、どれほど軽んじられていたかがわかります。いわゆる「歴史書」に女の名前が書かれることは稀だし、男は兵士になれば英霊として靖国神社に名前が刻まれるけれど、女は看護師や沖縄戦の例外はあれど、死んでもただの数にしかならない。
小川 『女の子たち風船爆弾をつくる』では、私たちの名前は載らないのね、というところですよね。ここに付箋を貼ってます。本当にそうだなと思う。
小林 そう。女性は名前さえ残らないのがあたりまえ。そんな状況の中で、メアリ・シェリーやエミリー・ブロンテ、女性たちの名前が、作家として記され、伝えられてきた。その人たちが書くことを通してやってきた抵抗、その人たちの執念みたいなものの結晶が、ゴシック小説なのかと思うと、敬虔な気持ちでいっぱいになる。そして、『コシックと身体』を読みながら、あぁ、こういう戦術もあるのか!と。
私は長年、仕事を取るならば家庭や子育て、愛を諦めなければいけないのではないかとか、どれかひとつに集中していなければプロになれないのではないかとか、不安に慄いていました。男性がそうしてきた姿ばかりを見ていたから。その上、子育てと仕事を両立させたいと願えば、「よくばり」[注 広島県が作った冊子「働く女性応援よくばりハンドブック」のことです]呼ばわりされるし。でも、ゴシックを知れば、いやそうじゃないよねって。『ゴシックと身体』でメアリ・シェリーについて書かれた文章を読んで、開眼しました。
ゴシック小説とは生きることを学ぶ場であるのかもしれないと思った。誰かを心の底から愛すること、情熱的に書くこと、愛情深い母になること、それらすべてが彼女にとってはまさに生きることそのものであり、制度としての結婚、作家としての評価は後から遅れてやってきたものだった。──『ゴシックと身体』あとがき
あぁ、これだ!!!と。
くわえて、私、エミリー・ブロンテといえば『嵐が丘』でしか知らなかったんです。すごい作家なんですよ、で、その上、基本は……パンを焼いていたんですよね?
■パンを焼いたエミリー・ブロンテ、食事の心配をしたヴァージニア・ウルフ
小川 拙著についての感想とても嬉しいです。ありがとうございます! エミリーはパンを焼く係だったんですよね。
小林 死ぬ直前までパンを焼くために階段を下りてきて。
小川 亡くなるその日も結局、姉と妹が止められないぐらいの気迫で階段を下りてくるんですよね。一人で歩けないぐらい結核で体調が悪くなっているので。でも私はパンを焼くために下りてきたんだと思うんです。エミリー・ブロンテってこれまで日本でも、「文豪エミリー・ブロンテ」みたいな受容のされ方をしていると思うんですけど、そもそも彼女たちが小説を出版する時には、自分たちの名前を出せなかったぐらいですから。そこでエミリーも姉のシャーロットも妹のアンも男っぽい名前をペンネームにすることにしました。だから、シャーロットは名前をカラー・ベルに変えてしまったんです。それぐらいの戦略を練らないと、女性の作品は力作であっても活字にならない。多分今でもそういうことって大なり小なりあると思うんですよ。震災の年に生まれた少女とキュリー夫人をめぐる物語『マダム・キュリーと朝食を』からずっと小林さんの作品が大好きなのですけど、こういうものを書く時に、小林さんなりの戦術などはあるのでしょうか。男性中心的な社会に向けて書くスタンスというんでしょうか。エミリー・ブロンテも、シャーロット・ブロンテも、ゴシックを使って戦略を練りました。描きたい心情やフェミニズム的な思想を編み込んだ手法というのでしょうか。
小林 お話を聞いて思い出したのは、エミリー・ディキンスンも、生きているうちは、ライ麦入りインディアン・ブレッドとジンジャー・ブレッドの名人としてのほうが有名だったということ。あと、ヴァージニア・ウルフの『ある作家の日記』に書かれていた、死の直前の日記。一番最後の文章のこの言葉。
食事の用意をしなければならない。たらとソーセージの肉。このことを書くことによってソーセージやたらに対してある種の支配力を手に入れることはほんとうだと思う。[翻訳ではイタリックの箇所は傍点]──『ある作家の日記』
ちなみに、死後に夫が日記に手を入れているので、それがウルフの一番最後の日記というわけではなかったようですが。あのヴァージニア・ウルフがですよ! 日記を読むと、ひたすら食事の用意の心配をし続けている。でも思えば、そういうことがあるからこそ、私は彼女たちの作品をますます信頼できる、というか。今、私が書きたいものって、そういうもの、食事の心配とか、パンとかソーセージとかのことなのかもしれないな、とは思っています。だから『女の子たち風船爆弾をつくる』を書くときにはそこに注力しました。どんなものを食べたとか、どういう洋服が好きだとか、月経がどうとか、そういうことをひたすら一生懸命に書いた。可愛い制服に憧れていたのに入学時にはダサい国民服を着なくてはならないがっかり感とか、そのダサい服にも灯火管制の光の下で憧れの学校のマークを刺繍するとか、そういうディテール。そういうものこそが、たらとソーセージの肉、パン焼きに通底するものではなかろうかと。
小川 なるほどなるほど。
■なかったことにされてきた女性たちの歴史
小林 いわゆる大文字の「歴史」だと、第二次世界大戦って結局全部男性の名前だけで書けちゃうんですよね。
小川 大文字の歴史じゃない歴史を、『光の子ども』では本当に素敵な絵とともに読めるようになっています。私はどれも好きですけど、リーゼ・マイトナーがサイコーです。
小林 もう、イチオシなんです!
小川 やっぱり。何かここ、力入ってますよね。リーゼ・マイトナーさん(1878-1968)を恥ずかしながらそんなによく知らなかった。でも原爆の母って言われることもある。
小林 いわゆる汚名を着せられたというか。彼女は核分裂を発見はしましたが、原爆開発には関わっていないんです。オットー・ハーン(1879 -1968)という人と共にドイツのベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所で研究をしていた科学者です。ふたりは長年共同研究をしているのですが、マイトナーはユダヤ系オーストリア人だったので、ナチがドイツを占領するとスウェーデンへ亡命しなくてはならなくなる。けれど、ナチ占領下のベルリンで研究を続ける研究パートナーのハーンと、マイトナーは手紙でやりとりしながら研究を続け、核分裂を発見する。しかし、ハーンはその偉大な発見を自分の名前だけで発表しちゃうんですよね。もちろん、ナチ占領下で、ユダヤ系の女の名前を入れるというのは難しかっただろう、というのはあるだろうけれど、いずれにしても、手柄は彼だけのものになってしまう。結局、ノーベル賞もハーンだけが貰うことになる。その授賞式にマイトナーは参加するんです。スウェーデンで授賞式があるわけで、そこはマイトナーの亡命先ですからね。でも、ハーンは彼女の功績に対する感謝の言葉さえ述べない・・・・という。でも、私が希望を持てるのは、実は今年[2024年]、『リーゼ・マイトナー 核分裂を発見した女性科学者』という子ども向けのマイトナーの伝記本が翻訳出版されたということです。これまで、長らく無視されたり、軽んじられてきた彼女ですが、長年かけて、じわじわと、いや、彼女は凄いんだぞ!という再評価が進んできているし、今なお、それをきちんと知らしめたい!と願う人たちが大勢いるということです。
小川 こういう本で小林さんが情熱を傾けて書かれていくことでしか、小さな歴史は広まらない。
小林 そして本当に、あっという間になかったことになる。なかったことに、されてしまう。しかもアインシュタイン(1879-1955)なんて、マイトナーのことを「我らがマリ・キュリー」というあだ名で呼んだりするんですよね。放射能と呼ばれるものの研究者で、女だから、という理由でしょう。まあ、褒めているつもりだったのでしょうが、そういうのは今でもあるあるだし、ひどいですよね。
小川 『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』でもリーゼ・マイトナーのことを書かれていますし、「風船爆弾を作った少女たち」が出てきていますね。これで『女の子たち風船爆弾をつくる』とも繋がってくる。
小林 そう。
■少女たちはなぜ選ばれたのか。ウルストンクラフトが抵抗し続けたバークの概念。
小川 小林さんは名もなき人たちの存在を世に知らしめるという仕事をこうしてたくさんされてきていて。私、『女の子たち風船爆弾をつくる』を読んでから『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』の28番を読んで、「そうだったんだ!」と気づいてびっくりしたんです。アメリカのオレゴン州の川のそばで爆発音が響き渡る。民間人6人が死んでしまうんですね。その大もとは実は風船爆弾と呼ばれるもので、この大きな風船は日本の少女たちが作っていた。なぜ少女たちかというと……
小林 ちなみに風船爆弾というのは、和紙をコンニャク糊で貼り合わせ、直径10メートルほどの風船をつくり、そこへ爆弾を吊るして、偏西風に乗せ太平洋を横断させ、アメリカ本土を直接攻撃するという、第二次世界大戦中に通称陸軍登戸研究所が開発した秘密兵器です。で、それを誰につくらせるか、という時に、少女たちが動員されることが決まった。その理由が、「手先の柔らかい若い女学生が和紙の貼り合わせに適している」、という。私、それを言ったのが誰かむちゃくちゃ気になるから調べたんですけど結局名前は出てきませんでしたが、軍の上層部の命令ということで。
小川 女性の手が柔らかいという考えを持つ背景には、西洋近代の中でも突出して引用されるエドマンド・バークの『崇高と美の起源』という古典があります。バークは実はウルストンクラフトが論陣を張った相手なんですね。『崇高と美の起源』では、その滑らかな体の部位(手)とか身体とか、女性はやはり「曲線」だよね、みたいな男性目線のある種の偏見が浮き彫りになっています。バークは畏怖、要するに恐怖の感情を起こす男性的な「崇高」と小さくて女性的な「美」という対立する概念を広めました。その後、ギルピンという人の「ピクチャレスク」、自然美のイメージが大流行します。ピクチャレスクとは、「曲線」、たとえば曲がりくねった川と、「直線」、たとえば岩壁などが、同じフレームのなかに見られる景色です。大学生でこの「曲線」が女性に求められてきたものなんだと思ったときの私は「これか…これだったのか!」と思ったものです。バークを読めば家父長制と呼ばれるものを可視化し、俯瞰できるんです。
ルソーも有名な『エミール』を書いていますが、エミールは博学で、ラテン語も数学も天文学も全部勉強してしまうんですよね。彼の将来の伴侶ソフィはというと、彼女はエミールを喜ばせるためだけに存在しているから、お人形遊びしていてください、と書いてるんですよ。はて?ってなってきちゃう。ウルストンクラフトは巨大な偉人たちに立ち向かっていった小さな女性なわけで、彼女が私にとって重要な歴史的人物であるというのはそういうことです。今となっては名前の大きな女性ですけれど、当時は田舎から出てきた、名も知れぬ少女だったわけです。父親がギャンブルで家を没落させてしまったので、家族のために自分が働かなければならない。当時、結婚しない女性が生き延びる術は家庭教師になるか娼婦になるかの二択だった。彼女は家庭教師になるのですが、その後、ロンドンに行くわけです。ロンドンでジョゼフ・ジョンソン[1738 - 1809 イギリスの書肆兼出版人]という有名な出版社の編集者に、独学で学んだ女性として評価され、彼女には『マンスリー・レビュー』などに書評をバンバン書かせ始めます。そして彼女の文章の力に感服したジョンソンは『人間の権利の擁護』(A Vindication of the Rights of Men)という政治パンフレットを書かせるんですね。NHK朝ドラ『虎に翼』で寅子が個人の権利を問うていますが、あのルーツとなるフランス革命の人権宣言の話をウルストンクラフトが書いているわけですが、そこではエドマンド・バークの保守思想が彼女の対抗原理として論じられます。バークの考える女性は「美」の象徴であり、それはルソーがソフィに求めたものでした。ウルストンクラフトは、あえて「男性的」な政治に関与することで、規定されてきたバーク的な「女性らしさ」に抵抗し続けたのでしょうね。そういった偏見、差別に対して立ち向かうウルストンクラフトに猪爪寅子の「はて?」が重なって見えます。学生時代の私にはウルストンクラフトしかいなかった、寅ちゃんはいなかったので。小林さんにとってのそういう人って誰だったんですか? ご著作の中に科学者がたくさん出てくるので、この中の誰かなのかなと思ったり。
■シルヴィア・プラスを読んだら抱えていたモヤモヤが晴れた
小林 『虎に翼』毎日観ながら、寅ちゃん〜〜〜!!って叫んでます。ほんと、これまでずっと、はて?だったことを、寅ちゃんがすばらしく明らかにしてくれて、泣けて泣けて仕方ない。あと、私はウルストンクラフトを今回初めて知って、すでにこんな時代にこんなことを書いていたすごい人が!!と驚愕しました。娘のメアリ・シェリーと比較的近い時代ですが、マリ・キュリーやリーゼ・マイトナーはもう一世代後なんですよね。さらに後の時代になりますが、アンネ・フランク[1929-45 ナチ・ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で発疹チフスを罹患して15歳で死去している]には大きな影響を受けた。けれどこれまた、十五歳で死んでしまうから、ロールモデルにはならない。
小川 そこも共通点で。
小林 そう、小川さんはアンネ・フランクのことも書いていらして。私は、10歳の時に『アンネの日記』をはじめて読んで、その歴史的な背景などなにもわからないまま、ただその文章に感激して。なんというか、大人に対しても、不正義に対しても、ちゃんと物を言えるかっこいいお姉さん、という憧れを抱いたのでした。けれど、15歳より先には、アンネの生がないわけですから、もうどうしたらいいかわからない。次に、この人!この本!って感激したのが、シルヴィア・プラスの『ベル・ジャー』で。プラスを読んだら、自分の抱えていたモヤモヤが、すごくくっきりと見えるようになった。プラスはものすごく勉強もできて、奨学金にも選ばれて。でも結局どれほど頑張っても、写真を撮られて可愛い女の子が頑張ってます、っていうふうに仕上げられてしまう。え、やっぱり、見た目?!ということかと。自分を結婚相手に選んでくれるのも、自分の原稿を選んでくれるのも、権力がある男たち。そこに選ばれるには、勉強なんかではなく、可愛く振る舞うとか可愛くなるとか、男に気に入られるための努力、ということだったのかという絶望感。それをきちんと言語化されたことで、あ、そうだったよね、私たちいくら頑張っても、選ぶという立場に立てない限りこの苦痛を味わい続けなくてはいけないのだよなと。ただ、その現実を、はっきりと書いてくれてよかった、それを読めてよかった、と私は思った。でもプラスも自殺して死んでしまうから、またその先のロールモデルがない。そこから私が夢中になったのが、ヴァージニア・ウルフ。そこも小川さんとの共通点ですよね。
■選ばれ、消費され、アイデアを奪われてきた女性たち
小川 はい。おっしゃる通り、私も『ケアする惑星』という本でアンネ・フランクについて書いています。話し合ったわけでもないのに気づいたら二人とも同じ女性たちについて書いてきているんですね。『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』の18ページに女性が選ばれるとはどういうことかについて書かれていますね。「若さとか美しさとか知性とか、そういったことでさえ消費される」という、その言葉が胸に刺さりました。要するに、知性や実力で選ばれるなら、女性も正当な場所に立つことができるわけです。でも、例えばカミーユ・クローデルのように、彼女の美しさに惹かれたロダンの愛人になり、人前に出られない立場に追いやられた挙句、自分の才能をさんざん抽出されて、出来上がった作品がロダン美術館に展示される時の……
小林 無念さ。
小川 そう! あまりにもひどいんじゃないかっていう小林さんの訴えにぐっときました。例えばテッド・ヒューズとシルヴィア・プラスもそうです。もっと遡れば、ロマン主義時代にワーズワースという人がいて、彼の妹のドロシー・ワーズワース(1771-1855)という人がいるのですが、多分誰も知らないんですよ。兄妹が一緒に生活してるとその共作、合作も生まれるわけです。ワーズワースは200年後も人々をうならせるような「ラッパ水仙」(“The Daffodils”, 1804)のような詩を書いていた。でも、実はその隣にはドロシーがいた。彼女がこれ素敵ねと言ったり、日記に花の美しさを詩のように書いてあったりする。ここ50年ぐらいずっとワーズワースの妹の研究をしているパメラ・S・ウーフという人がいて、ドロシーの日記には、ワーズワースの霊感源となった発想やアイデアや言葉がぎっしり詰まっていることを研究してきました。名もなき女性がその名を残さないまま、兄に労苦をかっさらわれて、死んでしまった。これはロダンにも同じことが言えます。あれ?ここは「カミーユ」じゃない?という部分も全部ロダンに差し替えられて発表されてしまった。私も、そしてきっと小林さんも、このかっさらわれ問題をなんとか言葉で表現して伝えるということが、全然違う方向で、全然違うやり方ですが、『ゴシックと身体』と『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』の形になったんだと思います。
小林 『翔ぶ女たち』の野上弥生子も私は全然知らなくて、こんなすごい女性がいたのか!と。この名を刻んで、こうして知らしめてくれてありがとう、という気持ちです。一つ一つの名を刻む人が増えれば増えるほど、いい。
小川 もちろん私も文豪は好きです。夏目漱石、三島由紀夫、川端康成などなど。でも、夏目漱石はこんなに有名なのになぜ弟子の野上弥生子はこんなに知られていないんだろうと不思議に思ってしまう。そこにはやはりミソジニーの問題があるのではないかと。しかも作品が駄作ならまあわかるんですが、弥生子は本当に優れた作品をたくさん残しています。もちろん、漱石の『坊っちゃん』や『三四郎』の物語も面白いんですが、同時代に生きていた女子たち、女学生たちはどんなものを見て生きていたんだろうと思ってしまう。でもそれについてはあまり誰も書いてこなかった。それに気づかされたのは2013年。オースティンの『高慢と偏見』という作品の200周年記念国際学会が開催されて、私も発表することになり、それで日本で初めてオースティン『高慢と偏見』の翻案小説『真知子』を書いた野上弥生子という人がいたと知りました。私も11年前に初めて、こんな人いたんだって気づいたんですよね。今は全巻購入していますが、当時は持っていなくて、上智大学図書館にある野上弥生子の日記を、毎日通って読み込みました。どのページも泣けてくるんです。
小林 夫も結構厳しめですよね。
■文豪たちの影で日々の生活に頭を悩ませた女性たちの日記
小川 ちょっとしたお金で今晩のおかずを決めなきゃいけないとか、今日は煮干残ってたなとか、日記で悩んでるんです。さっきおっしゃった、戦争、原爆で逃げ惑うとか、その武器をどれだけ購入するとか、どんな工場で作るといった話だけじゃなく、女性がそんな中でどうやって切り詰めてご飯を作っているかという話がその日記に残されていたんです。私、彼女の小説は何冊か読んでいたんですけど、日記を読んで、この人は忘れられてはいけない人なんじゃないかと思ったんです。
小林 日記の伝統があるとは言われているし、紫式部や清少納言みたいな名が知れ渡っているのはすごいことだけれど、近年では日記文学が少し軽んじられているという気がします。文豪誰が好きですか?と訊かれると、私もついつい、ドストエフスキーですみたいな、いわゆる、文豪と言われている人の名前をうっかり答えちゃう。でも、文豪アンネ・フランクですね、って答えたことがなかったなとある時気づいて。アンネ・フランクを、どうして誰も文豪とは呼ばないんだろう。日記だから? 童話だから? 女子どもの文学だからと、軽んじられているのかもしれないとはじめて気がついた。以来、私にとっての文豪はアンネ・フランクだって私はちゃんと言っていこうと思いました。さらに今回、『女の子たち風船爆弾をつくる』を書くにあたって、もはやその日記を残せる人すら少数だったことに気づいて。風船爆弾をつくった女の子たちは高等女学校に通っているから、もちろん文字も書けるし読めるし比較的裕福なんです……防空壕の中で『嵐が丘』と『風と共に去りぬ』と『エマ』をみんなで貸し借りして夢中で読んだりもする。スカーレットに心を寄せていたり。
小川 重ねてやっぱり、文学を読むという少女たちの経験を、小林さんがこうして記録としてちゃんと残して下さった、聞き書きをたくさんされたというのが、今回一番価値のあることだなと。大変だったんじゃないですか?
■残されたものと記憶を伝えていく
小林 実は直接お会いできたのはお二人だけでした。連絡先がわかっても、もうお話になれないほど体調が悪いとか、何しろみなさま高齢でしたから、難しかった。お会いしてお話を伺えても、この本ができる前にお亡くなりになってしまったし。だから、ここに書いたことのほとんどは、かつての方たちが書き残してくださったもの、たとえば卒業生の文集や、同窓会での採話、学校史の中での対談などで成り立っているんです。ただ、『文學界』で「風船爆弾フォリーズ」を連載発表したり、同じテーマで音楽朗読劇「女の子たち 風船爆弾をつくる」をやった時に、「実はうちの母が」、「実はうちの祖母が宝塚劇場で」とご家族の方から声をかけていただけて、ご本人ではありませんが、近しい方たちのお話を聞くことができました。
書き残された文章も、ご家族の方たちの記憶も、本当に尊くて大切なものです。でも、それは学校のどこかにひっそりと保管されていた、A4一枚のペラペラの紙だったりする。数年前の同窓会で○○先生がとったメモです、みたいなかたちで。ひょっとしたら、誰かが捨ててしまいそうなぐらいのものなんです。それを大切だと思ってとっていてくれた人がいて、それを大切だと思って私に手渡してくれた人がいる。それって奇跡みたいなことだな、と私は思うし、それを手渡してもらえたときの重みは計り知れません。
小川 それは一枚しかないんですか?
小林 そうです、そうです。私はデジタルのコピーで頂いたんですけど、学校がホームページに公開しているとか、学校史に載っているとかいうわけでもなくて。たまたまご相談させてもらった先生が、ちょうど学校史の編纂をしようとしていたところだったそうで、古い資料を探しているうちにたまたま見つけたものだとおっしゃっていました。
この『ゴシックと身体』もそうですが、一人の女性について書いたものを周りの人たちが伝えつづけて、今こんなに遠くにいる日本の一読者の私にまで、届く。誰かがこれは大切だと思って、それを捨てずにいて、それをまた誰かがここへ届けてくれる。本当に奇跡の積み重ねです。同時に、その向こうには、どれほど消えてしまったものもあるだろう、という気持ちもあります。そもそも、私の中には、読み書きがあまりできなかった私の祖母の存在がすごく大きくあるんです。私はあたりまえに学校へ通って、お勉強をして、育ってきた。だから、私は祖母が読み書きがあまりできないということが長らく理解できなかった。なんでテレビばかり見ているんだろうって。祖母は尋常小学校の6年までしか出ていなかったから、自分の名前とか簡単なメモは書けるけれど、日記を綴るとかはできなかったんだと思います。本も読んでいるのを見たことがない。『女の子たち風船爆弾をつくる』を書きながら初めてそんな祖母のことを思い出した。あぁ、祖母が私に話してくれた話は、私が忘れてしまったら、消えてしまう、って思ったんです。そして、そんなふうに、書き残されることもなく、消えてしまったことが、どれほどたくさんあるのだろうかと。でも、それが書き残されたものよりも重要でない、とは私には思えなかった。それもあって、私が書けるなら、私ができるかぎり書き留めたいと。
■受験と国粋の相性の良さ。そして私たちが教育を受ける意味。
小川 そうなんですよね。そもそも私たちは何のために教育を受けているんだろうって考えますよね。結局、新自由主義的な社会で、教育が競争社会で生き残る、surviveするためのツールかのように思わされているところがあるじゃないですか。そうじゃなくて、自分たちそれぞれが言葉を得て、表現することによって自分たちの生が豊かになるという、本当にシンプルに、ただそれだけのために教育を受けさせてもらっている。私もだいぶ歳を重ねてから気づきましたけど、でもそう思えたなら、受験戦争とか誰かよりも点数を取らなきゃいけないとか、そういうところに行かないんじゃないかと思うんですよね。もっと自発的に、本を読もうとか、いろんな視点を取り込もうみたいな、その渇望とか。
小林 このところ、私は受験というものに興味があります。今も、東京は中学受験が過酷ですけれど、戦前の東京も受験戦争が超加熱しているんですよ。歴史を振り返ってみると、受験と国粋は相性がいいのだなぁ、と私は思います。とにかく勝ち抜いて入学するためにバシバシ勉強するぞ、というのが、そのままするっとこの国が勝つために何が何でも頑張るぞ、にすり替わっていく。先生や親や上に立つ人が、生徒や子どもたちに、とにかく勝つために何も考えさせず努力だけを重ねさせる。杉並の例を見ていたら、校長先生が夜まで電気をつけて勉強させた公立の有名進学校が、やがて、報国のトップ校、モデル校になりあがってゆく。受験で学校に合格するための努力も、戦争に勝つための努力も、上からの指示に何も考えずに従う、ただひたすら努力をさせられる、という点では同じなのかもしれないなと私ははじめて気づきました。何のためにどんな学校へ行きたいのか、何のためにどんな勉強をしたいのかというのが抜け落ちて、ただ合格したい、ただ勝ちたい、をすべてにすえて、がむしゃらに努力だけをさせる。それは、本当に残酷だし恐ろしい。でも実際、親になってみると、やっぱり子どもをいい学校に入れて良い教育を受けさせたいとか、そういう欲も出てきたりするから、よけいに恐ろしくて震えます(笑)。
■戦争の暴力に巻き込んでいく「無責任な親としての国家」
小川 気づいたら学校が軍隊になっていたという記述が『女の子たち風船爆弾をつくる』にあります。私はこの本の中の「わたしたち」という言葉がすごく気になるんです。小林さんは「わたし」と「わたしたち」を使い分けてるでしょう? で、「わたしたち」は明らかに国粋主義的な、国家主義的なものに絡めとられる「わたしたち」じゃないですか。ものすごく風刺が効いている。
小林 ありがとうございます。
小川 その「わたし」と「わたしたち」と「国家」という関係性が家族になってるわけですよね。「無責任な親としての国家」が戦争の暴力に巻き込んでいく。いろんな場所でいろんな少女たちが巻き込まれていく様を胸が締め付けられるような思いで読みました。216ページの「宝塚歌劇の少女たち」は、気づいたら学校が軍隊になっている、そういう状況で慰問公演をするんですが、そんな時にも本物の軍刀を突きつけられたり、凌辱、殺害されることもある。「わたしたちのものになった女を、少女を、姦し、ときには殺す」という文章が『女の子たち風船爆弾をつくる』の218ページにあるのですが、この「わたしたちのものになる」というのは、個人が自由で平等であることを訴えている新しい憲法の前の段階なわけですよ。『虎に翼』でも33条と14条の読み上げがありましたけれども、新憲法では「個人」という言葉をちゃんと使っている。つまり、国家が自分たちは家族だよね、「わたしたち」だよね、だから「わたしたち」の中にいる少女は、犠牲を払って国家という家族を守らなければいけないから操を捨てて陵辱されてこい、というような慰問だった。こんなことがあちこちで行われていたわけで、だから「わたし」と言う時とはまったく違うんですね。
『女の子たち風船爆弾をつくる』の269ページでは、ポツダム宣言にも丁寧に言及されています。私はポツダム宣言の大切さについてあまり考えていませんでした。ポツダム宣言というのは1945年7月26日に発されたのですが、勝利した国が敗戦国に対して条件を突きつける。その条件とは、憲法を新たに作って個人の権利を保障しなさい、というもの。だから、これは悪いどころか日本にとって必要なことだったんですよね。「わたしたち」の家の女が殺されたりするというのは、国家が国民を裏切っていたということ。それを小林さんは見事に表現されている。このポツダム宣言によってようやく、その直後に憲法ができるんだと。ちょっと飛びますけれども、
春が来る。
桜の花が咲いて散る。
わたしたちの国が、ふたたびわたしたちのものになる。
──『女の子たち風船爆弾をつくる』308ページ
この、「春が来る」って本当に春が来るんだけれども、「わたしたちの憲法で永久に武力を放棄することを決めたから、それをもう、兵隊とは呼ばない」と。それまで人をみな兵隊と呼んでいたのを、憲法によって武力が放棄されたから、人間を兵隊として扱うんじゃなく、一人一人が個を持つ存在として見られるようになる。ただ、ここに至るまで、あまりに多くの少女たちが殺されてしまっていたことにも言及されています。ただ、私はその、殺されることを物語にした本とは思わなかったんですね。というのも、この「個」の重要性をポツダム宣言以前から遡って小林さんは書いているんです。そこが一番大事。小林さんの本では最初から個があるんです。しかも個とは、機械的に、あなたがこうだから権利が与えられる、という形じゃない、もっと有機的なものです。ここがこの本の根っこになっている気がするんですが、142ページに文字通り根っこについて書いていらっしゃる、楮(こうぞ)という植物の……
■ゴシックにも繋がる楮の生命力
小林 和紙の原料の。
小川 さらにすごいなと思ったのは、全部繋がってきちゃったんですよね。『最後の挨拶』の娘たちってエリカさんでしょう? エリカさんの物語でしょ?
小林 あ、うん、そうそう! 小説ではあるのだけれど、実際、私の四姉妹と家族の話がモチーフになっています。
小川 なんと名前は……?
小林 リブロ(libro)!
小川 そうなんです。libroは本っていう意味なんですよ。
小林 そう、本も紙で、もとはといえば植物なんですよね。
小川 紙なんですよ。
小林 そうか、紙! 四姉妹の話で、それぞれに植物の名前、モモ、アジサイ、ユズを付けるんだけれど、四女にはリブロ(libro)という名前を付ける。
小川 繋がった!と思って。
小林 なるほど! 私が気づいていませんでした(笑)。
小川 楮の話をここで紙幅を使ってされるんですが、それがとても大事なことではないかと思っています。
楮たちはその根から増殖してゆくから、株から少し離れた地面からもひょっと新芽がでていたりする。
その根は二十年ほどで衰弱することになるのだが、それまでは毎年おなじ株から新しく枝が伸びてくる。
──『女の子たち風船爆弾をつくる』(142, 143ページ)
ものすごく生命力あふれるイメージですよね。
小林 よかったあ、そう言っていただけて。実際、小川町まで行って、楮を剥かせてもらった甲斐がありました。下仁田へ掘りに行った時にいただいたコンニャクも家で育てていたんです。
小川 へえーー! この描写、解像度高すぎだろうと思って(笑) 私、楮って見たことも触ったこともないんですが、個の比喩として、人間は生命を持っているのだということを書かれているのかなと思わされました。友だちがおむすびをもらって笑うとか、ミミズが出てきて尻餅つくところとかすごく可愛い。それは個々人で経験が全然違うということ。全部が全部真っ暗な戦争色に染められるんじゃなくて、希望がない中で少女たちは楮のように一生懸命生命力を漲らせて、そして根を張ろうとして生きているんだと思って読んでいました。
小林 それを思うと、ゴシックに繋がるものを感じますね。18、19世紀のイギリス、女性にとって非常に過酷な時代の中で、ひとりひとりが一生懸命に根を張ってゆこうとする、その様をゴシックはきちんと書き留めているわけだから。死にそうなのにパンを焼こうとしちゃうブロンテしかり。脈々と根を張ろうとしてきた人たちが生きてきたんですよね。上からは個じゃないと見なされている人間が、明日のためのパンを焼こうとしつづける。『嵐が丘』の向こうには、そういう強く深い根があったんだと思うと、胸震えます。そこにはひとりの生活と人生があるんだぞ、という。
小川 そうですよね、個として認められていない人たちなので。エミリー・ブロンテでさえそうなんですよ。ただ、『嵐が丘』で一番重要なのは語り手のひとりがネリーという名前の女性で、しかも召使だということ。なぜ名もなき女性がこの一家の物語を語るのだろう、しかも所々自分に都合のいいように脚色したりするのだろうと考えてみると興味深いんです。この小説の最後にヒースクリフというキャサリンの恋人が復讐を終えて死ぬ場面がありますが、彼は最後、食べることを拒否して死んでしまいます。その家に仕えているネリーがその物語を語る時、私の怠慢からではないですよ、当然私は何回も食べてくださいと言いましたよ、とか、自分の立場を擁護する言葉を繰り返すんですね。エミリー・ブロンテがなぜネリーのような女性を語り手に選び、かつ生活を詳細に語らせるかというと、彼女自身、日々食べていけるかどうか不安を抱えていたからですね。女性がゴシックを選ぶことによって、もちろん幽霊が現れる世界の恐怖も重要なモチーフだと思うのですが、生命維持のために明日食べていけるのかという恐怖のほうが女性にはリアリティがあった。ウルストンクラフトも家族を養うためにロンドンまで行った人です。野上弥生子も食べ物を手に入れるということと仕事が直結していました。
小林 リアリティですよね。
■『フランケンシュタイン』と『女の子たち風船爆弾をつくる』の語りの魅力
小川 ウルストンクラフトの『女性の虐待あるいはマライア』のマライアという主人公は夫から追いかけられて逃げる。その時まず考えるのは、自分はどうやってこれから生活していったらいいのかということ。ゴシック小説はその切迫感が一番表現しやすいジャンルだったのかなと。
小林 それが身体に直結してる。食べられないイコール自分の身体がやばい。『ゴシックと身体』を読みながら「語り」ということもキーワードなんだろうなと感じました。『フランケンシュタイン』は手紙形式ですし、怪奇談をベースにしてるとか、文字ではなく口伝として語り継がれてきたものも含め、本という形式には収まらずにきたものたちが、その背後に蠢いている。
小川 そういう意味では、さっきの小林さんのおばあさまのお話もそうですが、まだまだ識字率が低い時代なので、読めない人でも楽しめるものがヨーロッパ中に広がっていった時期なんですね。『ファンタスマゴリア』という民話集があって。誰かが読めば、他の人は聞いて愉しめたんです。まだ学校が制度化されていない時代なので、そういう文化が広がっていたんですね。このことはあまり知られていないんですが、そもそも『フランケンシュタイン』は民話のアダプテーションなんです。
小林 それを知ってびっくりして。
小川 小林さんは『光の子ども』のような作品では、様々な少女や女の物語を言葉だけでなく、視覚的に表現されてきました。教育を受けていない人が手に取るかもしれない。その人は読み書きが苦手かもしれない。それは『フランケンシュタイン』が民話的な語りに依拠していることと地続きな気がします。語りというオーラルカルチャー的なルーツのあるものを自分の作品に取り込むことによって、親近感を持って読んでもらえたりするかもしれない。それは小林さんも、メアリ・シェリーも読者に寄り添っていた証左なのではないでしょうか。『フランケンシュタイン』があれほど後世に成功して、アダプテーションが何百何千とあるのには、語りに秘密があるんだと思うんです。『女の子たち風船爆弾をつくる』にはそれと同じ「語り」の魅力があります。ぜひ多くの人に読んでもらいたいですね。