松柏社

松柏社

図書出版の松柏社

ようこそゲストさん

Webマガジン詳細

2025.3.11【「はじめに」公開】岩田美喜 著『兄弟喧嘩のイギリス・アイルランド演劇』

【「はじめに」公開】岩田美喜 著『兄弟喧嘩のイギリス・アイルランド演劇』

装丁=加藤光太郎デザイン事務所

 

 

はじめに

 

 シェイクスピアの芝居には、仲の悪い兄弟が目白押しだ。しかもその仲の悪さが尋常ではない。『お気に召すまま』(1599頃)のオリヴァーが、オセローを憎むイアーゴーさながらに末弟オーランドーを憎むかと思えば、『から騒ぎ』(1598頃)のドン・ジョンも、「兄の庇護のもとで咲く薔薇になるくらいなら、生垣に生える雑草になったほうがいい」(1幕3場21─22行)とうそぶく。その他にも、『ハムレット』(1600頃)における先王ハムレットとクローディアス、『リア王』(1606頃)におけるエドガーとエドマンド、『あらし』(1611頃)におけるプロスペローとアントーニオなど、片方が他方を害せんとする(あるいは既に害した)兄弟の姿は枚挙にいとまがない。『間違いの喜劇』(1592頃)のアンティフォラス兄弟(およびドローミオ兄弟)など、たまに例外もないではないが、シラキューズのアンティフォラスがまだ見ぬ双子の兄弟を慕って航海に出るのも、まさに兄弟をまだ見たことがないがゆえである。やはり、シェイクスピア劇において互いを見知っている男兄弟は、なべて難しい関係になってしまうのだ。

 こうした〈兄弟喧嘩〉の主題を読み解くのに、従来もっとも重宝されてきたのは、L・A・モントローズが『お気に召すまま』を論じる際に提唱した、長子相続制度と演劇の関わりだ。イングランドでは中世後期から、世襲財産の分割消尽を防ぐため長子による単独相続の慣行が社会に広く浸透し、その慣行は長男と次男以下の子供たちとを必然的に対立させることになったというのがモントローズの議論だ。初期近代イングランドにおける兄弟関係が個人的な情愛に基づくものではなく、制度的かつ対立的なものであったため、シェイクスピアの喜劇はいかにこれを解消し得るかを描くことになったのだ(もちろん悲劇の場合は、いかに対立が解消できないかを描くことになる)。

 これは非常に説得力のある議論で、彼に真っ向から異議を唱えることはとてもできないが、しかしまた同時に、これだけですべてを説明できるわけでもない。兄弟の確執を芝居の主題とする傾向は、長子相続制度が有効に機能していたルネサンス演劇に限ったことではないからだ。例えば、ジョージ・ファーカーの『伊達男の策略』(1707)に登場するエイムウェル弟、R・B・シェリダンによる『悪口学校』(1777)のジョウゼフとチャールズ、オスカー・ワイルドの『真面目が肝心』(1895)におけるジャックとアルジーなど、19世紀末に至るまで、演劇史上看過し難い重要性を持つ喜劇の多くが連綿と、兄弟喧嘩を描き続けているのはどうしてだろう。また、これら後代の喜劇作家たちのほとんどが、イングランドではなくアイルランド出身なのは何故なのだろう。

 本書は、こうした疑問に応えるべく、イギリスおよびアイルランドの演劇を、〈兄弟喧嘩〉というトポスを切り口に、中世末期(15世紀後半)から19世紀末までを時代横断的に論じるものである。高度な専門分化が進む昨今の英文学研究においては、400年を通観する試みは異例かもしれない。だが、専門家による個別的な研究成果が逆説的に、演劇における兄弟表象を論じる視点を限定してきた点は否めない。本書は、従来は長子相続制との関連性で語られるばかりだったこのトポスが、本当はもっと多様な意味の層を持ち、変化し続けてきたことを、時代的に広範な演劇作品を渉猟することで明らかにする。

 具体的には、これは初期近代の作品を中心にして二方向へまたがる議論となる。まず本書の前半では、ルネサンス期になってようやく明確な形を表す兄弟と相続の問題が、実は「創世記」にまで遡り得るほど古い主題であることを検証する。その一方、本書の後半では、ブリテン帝国という新しいナショナル・アイデンティティが、重商主義をその実践的イデオロギーとして英国に確立する18世紀を特に際立った分水嶺と捉え、長子相続制度に基づいた土地中心の経済がもはや自明のものではなくなった18世紀以降の芝居が、〈兄弟喧嘩〉の物語を、いかに時代と適合させていったかを考えることになるだろう。

 序章では、具体的な演劇作品の分析に入る前段階として、ヨーロッパ文学の大きな源泉の一つである「創世記」を取り上げ、そこにすでに、カインとアベルやエサウとヤコブなど、兄弟の相克の物語が刻印されていることを確認する。彼らの物語は、聖書解釈学を通じて時代とともにその内包する意味を変化させ続けてきた。その結果、中世末期から初期近代イングランドの人々にとっても人類最初の兄弟殺しの物語は、自分たちの切迫した問題を扱うことを可能にする土壌として機能していたのだ。

 こうした聖書的イメージが文学において世俗的な相続の問題と結びついた最初期の例として、第一章では、道徳劇『堅忍の城』(15世紀前半)とタウンリー野外劇(15世紀後半)を取り上げる。一般に寓意性が強く、個別的な家庭の遺産問題にはあまり関心を払わないと思われる道徳劇にすでに、相続財産の分割消尽に対する恐れ——これこそが長子相続制度をイングランドに根付かせたものだ——が描かれていることが、『堅忍の城』によって明らかになる。一方、タウンリー野外劇のうち「創世記」を扱ったいくつかの芝居では、人知を超えた神秘的な神の選びという宗教的主題に世俗的な色づけが施され、兄弟同士が父親の祝福と相続権をかなり生々しく相争う。しかし兄弟の反目と不和を描く『アベル殺し』とは異なり、『ヤコブ』の最後の場面で、タウンリー劇は突如として財産を巡る現実的な諍いを超克して、シェイクスピアのロマンス劇を先取りするような和解の場面を描いている。

 だが、『ヤコブ』における和解は、カトリック的な救済史観がなせる技であり、第二章で論じられる、イングランド演劇初の正統古典悲劇『ゴーボダック』(1561頃)が奉じる演劇作法とは相容れないものであった。『ゴーボダック』はインナー・テンプル法学院の学生たちによって書かれた作品であり、彼らが常日頃訓練として行なっていた模擬裁判における弁論の語法が取り入れられていることは、つとに指摘されている。『ゴーボダック』は古代ブリテンの歴史を扱いながら、長子相続制度の是非を当事者対抗的に論じた弁論劇でもあるのだ。当事者対抗的とは言っても、全体の主旨としてはこの作品は長子相続制度を支持しているのだが、作者たちがもう一つの材源としたセネカの復讐劇に見られる宿命的な復讐の連鎖という主題が、長子相続制度の健全な機能など不可能なのではないかという疑念を突きつけてもいるのだ。いわば、ルネサンス人文主義の息吹は、神のもとにすべては喜劇として終わるカトリック的な演劇を衰退させ、出口なしの感覚を持った悲劇を登場させたのである。

 第三章は、『ゴーボダック』が絶望的な悪夢として提示した兄弟の相続争いを、祝祭喜劇に転じたシェイクスピアの『お気に召すまま』を論じている。この作品では、モントローズが論じた長子相続制度下における兄弟の軋轢と、カインとアベルを投影した聖書的なイメージが重なり合っているのだが、これらは互いに矛盾するようでいながら、ともに抜き難く作品の根幹と関わり合っている。だが、『お気に召すまま』は、このような構造的な矛盾と対立を超克し得る存在として、ロザリンドとシーリアという二人の女性を喧嘩ばかりの男兄弟に対置させる。さらに、ロザリンドおよび道化のタッチストウンに「もしも」という可能態を表す単語を好んで使わせることで、和解への第三の道を開いているのだ。

 他方、第四章で論じる『あらし』は、仲裁者として女性登場人物を重視するという戦略を用いない。ここで問題にされるのはむしろ、ジェイムズ一世の治世下で急速に理論化が進んだ王権神授説と長子相続制の関わりである。魔術の探求に耽溺するあまり弟にミラノ公位を簒奪されたプロスペローが、最後にはそれを捨てて復位する様は、魔術を潜在的に統治者にふさわしくない学問として描き、ジェイムズ一世の論調に歩調を合わせる一方で、この芝居はプロスペローが持つ強迫観念的な不安にも焦点を当てることで、王権神授説へ密やかな異議をも申し立てている。だが、このように緊張感に満ちた学問の正当性に関する議論は、チャールズ一世の時代に初演されたジョン・フレッチャーとフィリップ・マッシンジャーの『お兄さん』(1635初演)には見られない。むしろ、ここでは学問が脱神秘化され、滑稽化されることで、長子相続制度が骨抜きにされており、『お兄さん』は『あらし』とは異なるやり方で、同時代の社会的な空気を敏感に嗅ぎつけ、それに物申していたのだ。

 だが、こうしたルネサンス演劇の伝統は、1642年に勃発した内乱によって一時的に断絶する。第五章および第六章では、1660年の王政復古によって公に復活した演劇興行が、名誉革命によってさらにそのイデオロギーを掘り崩されてゆく様を、二章にわたって考察する。王政復古演劇は、長らくチャールズ二世の宮廷文化を反映した放蕩主義の現れとばかり解釈されてきた。だが、J・D・キャンフィールドは、その背後にある争点とはおしなべて不動産であり、内乱時代に議会派に奪われた土地を、王党派のトリックスターが取り返すというパターンを持っていると看破した。王政復古喜劇が、近代市民社会へと移りゆく時代の流れに逆らったステュアート朝の懐旧的イデオロギーの演劇的表明であるという新たな認識は、本書が論じるポスト名誉革命期の演劇に起こった変化を可視化するのにも、大いに役立つ知見である。

 トマス・シャドウェルの『アルセイシアの地主』(1688)、ウィリアム・コングリーヴの『愛には愛を』(1695)、ファーカーの『双子のライヴァル』(1702)、そして『伊達男の策略』など、王政復古劇で目立った〈兄弟もの〉は、いずれも名誉革命の1688年を契機としているか、それ以降に書かれた作品である。つまり、〈兄弟の相克〉という主題は、名誉革命という大きな政治体制の変化の際に、これに賛成の者も反対の者も自らの主張に合わせて使用可能な、柔軟な器として用いられたのである。全体的な傾向としては、王政復古期の喜劇に見られた貴族的なイデオロギーは、名誉革命体制下では、ホイッグ派の劇作家たちによる近代ブルジョワ的なイデオロギーに取って代わられていく。長子相続制度によって苦労もせずに土地財産を手に入れる兄たちよりも、能力によって国家に奉仕する商人や職業軍人など、いわゆる「新しい紳士」——重要なことに、これらは相続から外された弟たちが就く職業であった——に軍配をあげるというのが、こうした芝居の特徴である。

 さらに、ホイッグ派のシャドウェルは、この図式にアイルランド統治という新たな問題意識を加えた。ステージ・アイリッシュマンという道化的なストック・キャラクターを導入し、国家が管理すべき潜在的犯罪者として描くことで、アイルランドの徹底的な管理と制圧を示唆したのである。だが、彼の次世代作家であったファーカーは、シャドウェルに水を差すような態度でステージ・アイリッシュマンを扱った。18世紀演劇の先駆者とされる彼はむしろ、弟たちが長子相続制度下で苦しむという17世紀的な態度で兄弟の確執を描きながら、不遇な弟たちと滑稽なアイルランド人を二重写しにすることで、兄と弟をイングランドとアイルランドに重ねるという新たなレトリックを生み出したのである。

 だが、ゆらぎを見せはじめた芝居の中の兄弟表象が、本格的にその内包する意味を換骨奪胎されてしまうのは、18世紀後半のことであり、第七章はその変化を明らかにする。これまであまり指摘されてこなかったことだが、18世紀後半に「笑える喜劇」を目指した芝居の多くが、チャールズという名前の男を主人公にしている。感傷喜劇と距離を置いた(あるいはそういう身振りをした)劇作家たちは、王政復古期の喜劇の痕跡を感じさせる陽気な王様チャールズ二世の名を自分たちのヒーローに与え、時には、現在の王の名である「ジョージ」と対比すらさせていたのだ。しかし、シェリダンの『悪口学校』においては、チャールズ二世のみならず、ホイッグ党の自由主義者チャールズ・ジェイムズ・フォックスの姿までもが主人公チャールズ・サーフィスの行動に重ねられており、チャールズという名は過剰な、対立する意味を負わされた不安定な記号になっている。また、兄ジョウゼフとの軋轢を劇中で顕在化させるのは、サーフィス家の世襲財産ではなく、東インド帰りのおじさんが一代で成した富である。つまりこの芝居は、伝統的な〈兄弟喧嘩〉のトポスを踏襲しているようでいて、その実、長子相続制度がすでに機能停止に陥っている社会を描いているのだ。

 この点は、ジョージ・オキーフの『若気の至り』(1791)では、さらに徹底的に強調されている。なにしろ、主人公が東インドからやってきた捨て子の旅役者であり、本当はイングランドの紳士の嫡男で本名がチャールズであると判明した後ですら、彼はその新しいアイデンティティを一種の役割演技として受け止めているような終わり方なのだから。演劇史の正典に組み込まれているとは言えないながら、本書の視点では『若気の至り』は非常に重要な芝居であって、この時期を境に、従来の意味での〈兄弟喧嘩〉の芝居は、死んでしまった。ゆえに、19世紀以降の芝居は、死んでしまったトポスをいかにして、あたかもまだ生きながらえているかのように加工するかということが問題になるが、19世紀イングランド社会の変化があまりにも激しかったため、演劇においても様々な試行錯誤が、比較的短い期間に次々と行われたのであった。

 こうした事情を踏まえて書かれた本書の最後の二章は、一つか二つの芝居を比較的じっくりと精読してきた第五章までに対して、特に多くの芝居を一度に俎上に乗せてその変化を見極めることに力点が置かれるため、各章の分量が非常に長くなっている。私見では、こうした種々の芝居の中でも成功している作品とは、いずれもルネサンス演劇の世界観——特に、世界劇場という包括的な演劇観——を、いかに産業化された近代に蘇らせるかということを志向している。そのため、最後の二章は、兄弟喧嘩のトポスに対する鎮魂歌であると同時に、近代以降の演劇がどのようにルネサンス演劇——とりわけシェイクスピア——を内面化してきたかを論じる章にもなっている。

 具体的には、第八章では、19世紀前半におけるロマン派の芝居が、長子相続制度を前提とした兄弟表象の機能不全にどう対処していたかを考察する。1810-20年代には、S・T・コールリッジの『悔恨』(1813)や、バイロンの『カイン』(1821)など、ロマン派詩人たちによる兄弟ものの芝居が立て続けに書かれた時代なのだが、興味深いことにこれらの芝居は皆、チャールズ・ロバート・マチュリンの『バートラム』(1816)というゴシック演劇をハブにしたネットワーク上にある。『バートラム』自体は兄弟喧嘩の芝居でもなければ、ルネサンス演劇的でもないのだが、マチュリン演劇が抱える問題が、コールリッジやバイロンをかえって刺激し、彼らの思う理想の演劇を評論や作品で語らせることになったのだ。特に、今の時代では正統な演劇が可能なのは「精神の劇場」だけだと述べたバイロンの劇詩は、しばしば反演劇的だとされるのだが、実際は本章が扱う多数の近代以降に書かれた芝居の中でもっとも、シェイクスピア的なドラマツルギーを継承していると考えられる。

 最終章である第九章では、19世紀半ばに代表的な大衆劇作家として活躍したディオン・ブーシコーのメロドラマとオスカー・ワイルドの『真面目が肝心』を扱い、メロドラマが〈兄弟喧嘩〉という演劇的主題の最終局面に直面していたことを指摘した上で、メロドラマのパロディたる『真面目が肝心』が、この長い伝統の極北であり、かつ終幕のカーテンであったことを検証する。第八章までで扱ってきた戯曲は、曲がりなりにも「父を継ぐこと」に関する相克を描いてきたが、第九章で扱われる19世紀後半の芝居では、そもそも父は不在である。父から子へという相続制度そのものがもはや存在し得ないかのようなブーシコーの劇世界では、兄弟関係は超自然的な絆として描かれ、オカルト化されることになった。

 だが、『真面目が肝心』はさらにその上を行き、登場人物は皆、先行作品というテクストから生まれてきたかのように描かれる。しかし、記号でしかないキャラクターたちは同時に、作者が縦横無尽に引っ張り出す間テクスト性に満ちた遊びの中で、メタドラマ的に自分を作る記号に干渉しようとする。このようなワイルドのメタシアター性をポストモダニズムの先駆と捉える批評家も少なくない。しかし、重要なことに、ワイルドの間テクスト的な戯れは、むしろ『夏の夜の夢』(1596頃)のような、劇中の世界と劇外の世界の境界を一時的に掘り崩してしまうような、世界劇場的なエネルギーに満ちているのである。しかしその後、レディング監獄に入獄したワイルドがこのような演劇観を棄ててしまった時、初期近代の長子相続制度と深い関わりを持ちながら、20世紀近くまでかたちを変えながらゾンビのように頑張り続けた一つの演劇的伝統が、ついに本当の終焉を迎えたのである。

 このように、広範な時代を横断的に見ることで一つの見解を導き出そうとする本書のアプローチは、美点と同じくらい欠点もある。その最たるものは、扱うすべての時代の各作品について、それに一意専心で取り組んでいる専門家と同等の議論をすることが叶わない、ということだ。例えば聖書学や書誌学の専門家は、本書が「創世記」や『堅忍の城』を扱う態度をあまりにも粗雑だと思うかもしれない。だが、本書がもっとも魅了されている問題——イギリスおよびアイルランドの演劇が、これほど長きに渡って兄弟と相続というトポスに関心を払ってきたことと、それほど蠱惑的な主題でありながら、時代の変化とともに否応なく変化していかざるを得なかったこと——を明らかにするには、このような蛮勇を振るうより他ない。筆者に能うかぎりの学問的な正確性をすべての章に対して注ぎ込んだつもりだが、誤りがあれば専門家のご教示をいただければ幸いである。兄弟喧嘩の芝居というこのめくるめく世界には、筆者にとっても読者にとっても、知れば楽しいことがまだまだある。どうか本書が、その議論を開く端緒となって欲しい。

 

▼岩田美喜 著『兄弟喧嘩のイギリス・アイルランド演劇』の詳細はこちらから⇩ ご注文も頂けます。

『兄弟喧嘩のイギリス・アイルランド演劇』詳細ページ