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2024.5.17【対談】ハーン小路恭子×榎本 空「アメリカの声を聴く」

【対談】ハーン小路恭子×榎本 空「アメリカの声を聴く」

ハーン小路恭子✖︎榎本空「アメリカの声を聴く」

2023年6月3日(土)にReadin’ Writin’ BOOK STOREにて開催された『アメリカン・クライシス──危機の時代の物語のかたち』(松柏社)刊行記念トークイベントの内容を一部編集したものです。

 

 

よそ者感の葛藤が原動力に

 

ハーン小路 アメリカ文学や文化の中で、危機の感覚がいろいろな文化的テクストのかたち、形式の中にどんなふうに現れているのかについて書いた私の初めての単著『アメリカン・クライシス:危機の時代の物語のかたち』についてお話ししようと思いまして、私のたっての希望でお呼びしたのが、『それで君の声はどこにあるんだ:黒人神学から学んだこと』を書かれた榎本空さんです。今回、榎本さんをお呼びしたのは、私自身がこの本がとても大好きであることもありますし、アメリカ文化だけじゃなく、沖縄や台湾であったり、いろんな文化に触れて、そこにいる人たちの声を聞く、その仕方っていうのかな、それが榎本さんの文章に表れているのがすごく好きで、とてもお話してみたかった方のお一人なんです。ところで、榎本さんは肩書きをあえて言うとすると何になるでしょうか。

榎本 肩書きがいつも難しいんですけど。一応今はPh.D. キャンディデイト(博士候補生)という身分で、アメリカではABD[All But Dissertation]とも言うんですけど、そのコースワークが終わって今は論文を書く段階にいる者です。沖縄でフィールドワークをしながら論文の準備をしているみたいなところです。

ハーン小路 ありがとうございます。アカデミックな活動もしつつ、本当に幅広い文筆活動をされていて、音楽にもすごくお詳しくて連載も読んでいてとても好きなので、この二人の本をとっかかりにいろんなことをお話できればなと思っていますので、2時間よろしくお付き合いください。どうぞよろしくお願いします。すごい温かいクラウドですね、いいですね(笑) 私が榎本さんの『それで君の声はどこにあるんだ』が出た時に最初に思ったのは、ニューヨークのユニオン神学校に突撃入学なさって、黒人神学の大家のジェームズ・H・コーンという人のもとで学ばれたと、帯に書いてあるのを見ただけで、なんかすごいなこの人、ただものではないなという感想を持って。だから読む前は、異文化にわりと迷いなく飛び込んでいくタイプの方なのかなと思ってたんですよね。例を出せば、榎本さんもこの本の中で挙げていらっしゃる藤本和子さんがアメリカのいろんなところに行って、いろんな人の聞き書きをしてという、迷いなく、突撃取材じゃないけど、飛び込んでいってその声を聞くということを、きっとできる方なんだろう、まっすぐに、という感じで読み始めたんですけど、実際に読み進めていくと、必ずしもまっすぐに飛び込んでいくだけじゃなくて、飛び込む際の、躊躇というか、迷いというか、いいのだろうか飛び込んでみたいな、ちょっとひっかかりを感じたんですよね。で、そのひっかかりが私的にすごく共感できるところだったりしまして。今日のまさにお話のとっかかりとして伺ってみたいのは、そういうアメリカの声を聞く上での榎本さんの姿勢というか、どうなんでしょう、まっすぐなのか、ちょっと迷うのかっていうところの基本姿勢みたいなのをまずは伺えたらと思うんですけど。

榎本 わかりました。榎本空です。今回はこの対談にお誘いいただいてありがとうございます。本当にドキドキしてるんですけども。そういうふうに飛び込んでいったっていうのは事実としてあって。何でそうなってしまったかというと、あの時は、もう後がない、前進あるのみだったというか。そこに行けなかったらもう何もなく、何もなくというのもおかしいですけど、アメリカにいるということもなかっただろうし。かといって他に何か道があったわけでもないし、もちろんジェイムズ・コーンに学びたいという気持ちがあったんだけども、その道にすがらなければもう他の道が見えないような状態でもあったから、行くしかないなっていうところで行ったというのが本当に近いと思うんです。でも、ハーンさんがおっしゃっていたような、僕がここにいてもいいんだろうかという、躊躇や戸惑いはずっと抱えてきたもので。今、伊江島という小さな沖縄の離島で暮らしていて、僕は中学校までここで過ごしてるんですが、ここで育った時からずっとそういう感覚を抱えてきているような気がして。僕の両親が僕が1歳の頃にこの島に移住してきて、そういう中で僕はずっとここで、ある意味よそ者として育ってきて、かといってじゃあ、日本の本土に行ったら自分の居場所があるかというとそういうわけでもなくて。その後、台湾に行って、原住民──台湾ではみんな原住民と言っていたんです──の方々の村でお世話になって、そこでも異物というかよそ者であって。で、アメリカに行って、最初バークレーに行って、その後ニューヨークに行ってノースカロライナに行くことになるんですけど。ずっとそういう中で他の人とは違う存在としての自分みたいなものはずっと抱えてきたところがあって。そこを深く見つめることが僕にとっての書く原動力になってるというか、書くスペースをそれが埋めてくれてるというか。それが藤本和子さんと違うところかもしれないんですけれど。ハーンさん、僕も言っていいですか? ハーンさんからこのお話をいただいた時に、本も送ってくださるっていうことになって、最初どうしようかなと思っていたのは、僕は、こういう批評的な作品っていうのを結構、敬遠というか、慣れていないというか、大学院に行ったら本当にいやというほど読まされるんだけども、それで本当にいやになっちゃうところがあって。なんでこんなに血の通っていない言葉で書けるんだろうみたいなことをよく思うことがあるんですよ。で、本当にそういう本だったらどうしようかなと、そういう本だったら何をお話させていただいたらいいんだろうと思って読ませていただいたら、そういう本じゃなかったんですよ、この『アメリカン・クライシス』は。

ハーン小路 よかったです。

榎本 もちろん批評としてのすごい鋭いところっていうのがたくさんあるんだろうけど、それと同時にすごく温かい本だったし、血の通った本だったし、そういうものはどこから来たんだろうかっていうのはずっと思っていて。で、それはハーンさんがおっしゃっていた、戸惑いだったり躊躇だったり、ちゃんと対象との距離の中で葛藤していたり、それを縮めようとしていたり、でも突き放されたり、そういうことがあったのかなあなんていうことを想像しました、今。

ハーン小路 そうですね。榎本さんが「よそ者」という言葉をお使いになって、私もアメリカの南部に行った時って本当によそ者として行ったんだなあと。それまでもずっと、学部生の頃から南部文学を読んでいて、修論も南部文学で書いたし、そういうのはずっとしていたんですけど、本当に実際に行くってことがあまりに違ったんですよね、本で読んでいることとの落差がすごくあった、インパクトがすごくあって。研究者の中には、南部の作家をやってるからって南部の文化にコミットしたり、そこに行って何かをしなきゃいけないわけじゃないという姿勢の人もいるんだと思うんですけど、私にとっては行ったことがすべてだったなって思うんですよね。行ったからって、すごいハッピーで、わーよかったね、みたいな話ではなくって。だからよそ者感っていうのがすっごくあって、そこの葛藤が原動力になってるのは私も多分同じなんですよね。ちょうど留学する頃に安岡章太郎の『アメリカ感情旅行』という本を読んで。彼がフルブライトの奨学金をとってテネシー州のナッシュビルに行った時の、1960年代の話なんですね。当時まだ人種隔離時代、ばりばりトイレとか分かれてる時代なんですけど、そこにポーンって日本人として放り込まれた時の、どっちにも寄る辺ないみたいな、どこに立っていいのかよくわからないみたいな。それもやっぱりよそ者感なのかなって、それにすごく近いものを自分自身の立ち位置にも感じて、それが大きかったなと思うんです。どちらかというと、日本における南部研究の伝統には、戦争に負けたとかそういうことを共通点としてアメリカの南部と日本の両方を類比で考えていくという伝統が一つあるんですけど。その場合って、どちらかというと負けた南軍の白人のほうにアイデンティファイするようなところがどうしてもあるんですよね。私、どうもそれぴったり来なくて。ぴったり来ないからと言って、じゃあ私、黒人の側だよって、そんな単純に言える話でもない。その宙ぶらりんの感じというのが出発点になったなって。ところで、「よそ者」という言葉はすごく印象的なんですけど、出所というか、子供の頃のことですか?

榎本 「よそ者」という言葉自体は、多分、今訳している、サイディヤ・ハートマンさんという方の『母を失うこと』という本からです[この約3ヶ月後の2023年9月、サイディヤ・ハートマン『母を失うこと──大西洋奴隷航路をたどる旅』が榎本さんの翻訳で晶文社より刊行されている]。この本はアフリカ系アメリカ人の彼女がガーナに旅をする、奴隷が元々連れてこられた場所に旅をしていく話なんですが、自分はアメリカでもガーナでもよそ者だったと書いていて。当然、僕にとってのよそ者の経験とハートマンさんにとってのよそ者の経験というのは違うんだろうとは思うんですけど、自分のこれまでのことをずっと振り返ってみると、それがやっぱりしっくりくるというか。ずっとそうですね。今のハーンさんのお話を聞いていて思い出したんですけど、ユニオン神学校というのは黒人がすごくたくさんいる神学校なんですが、ハーレムに近い神学校で、ジェイムズ・コーンという僕の先生だった人の授業に行くと、大半が黒人で、そこに白人がちょっと固まっていて、そこにも入らずに僕や韓国からの留学生の人もいてみたいな感じ。僕はそこにいて、この複雑な、複雑だけど極小のこの教室の中で自分はどこに属したらいいんだろうかみたいなことはずっと考えてはいました。でも結局自分はどこでもないし。この「どこでもない」というところから書けることや言えることがあるんだろうなあと思って書いたのが、『それで君の声はどこにあるんだ』っていう本。

 

書く重み、伝統がないという意味でのよそ者

 

ハーン小路 もしかしたらと勝手に思っていたのは、ジェイムズ・ボールドウィンがお好きだと伺ったので、ボールドウィンに“Stranger in the Village”というエッセイがあるんですが、それ、よそ者なんですよね。

榎本 はい、strangerですからね、うん。

ハーン小路 スイスの村に行くのかな。スイスにアフリカ系アメリカ人である彼が行くということ自体が、まず一つよそ者感があるのですが。そこで彼が二重に感じたことがある。スイスの孤立した小さな村に残っているヨーロッパの圧倒的な伝統があって、例えば現地において文化資本みたいなものを持っていないワーキング・クラスの人であっても多分アクセスできるような大きな伝統や歴史の重みがずーんとあると。一方、奴隷を祖先に持つ自分の、そういう伝統や歴史から完全に切り離されちゃったよそ者感っていうのかな。それってサイディヤ・ハートマンさんの『母を失うこと』におけるよそ者の話と繋がっている気がとてもしたんですよね。

榎本 そうですよね。あのエッセイでボールドウィンがスイスに執筆に行くんですよね。ベッシー・スミスのレコードで武装してみたいなことを書いていて、その言葉がすごい好きで。やっぱり音楽で武装できるんだと思って。僕もものを書く時は武装して書かないとなと思うんですけど。今、ハーンさんがおっしゃったこと、すごいよくわかる。二重の意味での喪失というか、単に自分が異質な存在であることだけではなくて、書く重み、伝統がないという意味でのよそ者というのは、うーん、ハートマンさんはまさにそういうことを書いておられますよね。それと似てて、ちょっと話が複雑になっちゃうかもしれないんですけど、僕がコーンの授業に行って感じたのは、例えば公民権運動やブラックパワー運動でもそうですし、黒人の人たちが教室で彼らの現在的な苦しみについて語るときにどうやって抵抗していくかという時に引いてくるキング牧師やマルコムXの言葉だったり、その伝統っていうのを自分は持っていないというのが、僕にとってはすごく喪失だったような気がします。沖縄にいても、同じで。単純な喪失じゃないんだけれども、伊江島にも土地闘争であったり、阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)さんという人がいたり、いろんな抵抗の歴史があるんだけれども、それに対して僕はすごく不格好なかたちでしか繋がっていなくて、それを自分のものとして声高に語ることができないところの葛藤、喪失というのはあるなと思っています。だから、それじゃ自分はどうやって語れるんだろうなとは、いつも、考えていることですよね。

 

トランプ大統領誕生は最初の危機ではない

 

ハーン小路 現在進行形の問いとして、それは私もずっとあるなあとすごく思ってますね。アメリカには何年からいらっしゃったんでしたっけ。

榎本 2014年から2022年までいました。

ハーン小路 本当にそれが私と入れ替わりというか、私は2006年に行って2014年くらいまでいて。私は夫がアメリカ人なので里帰りのような感じで今でも年1回くらいアメリカに行くんですけど、メインで留学生として学位をとるためにいたのはそのくらいの時期なので、アメリカがどんな雰囲気だったかって微妙に違うかもしれないんですけど。

榎本 と思います。2014年というのは、すでにブラック・ライヴズ・マターが起きていて、オバマが在任最後の数年の頃でしたが、そのオバマは裏切り者だ、ウォール・ストリートに魂を売ってしまったんだと、すごく批判されていた時期で、『それで君の声はどこにあるんだ』にも書いたんですけど、僕はそれがびっくりしたというか。結局オバマでもって黒人差別というものが一応終わったんじゃないかというか、それで進歩してきたんだろうと。そこである程度の政治的な意図は達成されたんじゃないのかなというすごく漠然としたアイデアを持ってアメリカに行っていたので、本当にびっくりしましたね[バラク・オバマの米大統領在任期間は2009年1月~2017年1月]。ハーンさんの頃はその前ですもんね。

ハーン小路 そうです、そうです。私がアメリカに行ったのはハリケーン・カトリーナの翌年だったんですよね[2005年8月末にアメリカ合衆国南東部を襲った大型ハリケーン]。オバマが当選した年、私はミシシッピ大学というところに留学してたんですけど。アメリカではいつも大統領選の時ってプレジデンシャル・ディベートといって、候補同士が討論する会が何回かあるんですよね。で、その一つがミシシッピ大学であったんですよ。

榎本 えー、すごい。

ハーン小路 なので、あのすさまじい盛り上がりぶりみたいなものを身をもって体験して。私がいたところは保守的な土地柄なんで、保守的な人がブーイングとかしていたんですけど。それでものすごい多幸感に包まれた時期っていうか。そこから当選に向かう時というのは何とも言えない多幸感がありましたよね。それはちょっと全然違ったなと思います。

榎本 それこそあれですか、コーネル・ウェストが応援に来ていたりとか、そういう?

ハーン小路 そういう感じで。当選した時も、オプラ・ウィンフリーが泣いてたり、いろんなものを見たなみたいな。

榎本  へええー。

ハーン小路 あれはちょっと重要な経験だったなあというのは今も……。でもその後、失速して批判される感じというのも同時にすごいわかって。というのも、皮肉なことに、オバマ政権の時期に警察暴力、人種暴力がものすごく悪化したことはもう否定できない事実としてあるから。そこからブラック・ライヴズ・マターなどが生まれてきたので。つまりは全然〈ポスト人種〉ではなかったということですよね[▶︎初のアフリカ系大統領となったバラク・オバマの就任前後には、人種問題はすでに克服されたという文脈で、ポスト人種(post-racial)という語がよく用いられた]。だから、そういう矛盾も込みのアメリカだったのか、というふうに全体的には言えるのかなと。

榎本 そこからオバマの任期が終わって、今度はトランプになるっていう、本当に何かもう訳がわからないみたいな。でもその時に黒人の人たちが、トランプの誕生というのは僕たちが経験する最初の危機ではなくて、僕たちはずっとその危機を生きてきたんだとすごい強調して言っていて。だから別にトランプが誕生したからと言って必要以上にうろたえる必要はないし、きっと僕たちの命はまたないがしろにされるだろうけど、といった感じで淡々としていたのが印象的で。ハーンさんも『アメリカン・クライシス』の最初のほうで、危機の日常性について書かれていて。そういうことがトランプに変わる時に学んだことの一つでしたね。危機はセンセーショナルな形であるんじゃなくて、日常に埋没したかたちでずっと続いていたんだっていうこと、そしてそれを感じ取ること。『アメリカン・クライシス』の序章のこの箇所がすごい好きだったんですよ。「危機とは日常に対する例外性として立ち現われるのではなく、日常性かつ現在性というテンポラリティのうちにとどまるものであり、だからこそ不安定な生のただ中にある人びとは、分節化することのできない情動にかたちを与え、物語を生み出しつづける行為において危機の感覚に応答する。」

ハーン小路 そうなんですよね。危機って言った時に私が取り上げているのは暴力などの大きいこともありますけど、どちらかというと、アフリカ系の人たちの歴史にインスパイアされてきた、さっき榎本さんがおっしゃった、別にトランプが出てきたからってそんな驚くようなものでもなく、それはずっと昔から繰り返されてきたじゃないかっていうことで。彼らの奴隷制以来の歴史が持っているある種反復的なものというか、通時的なものというか、いつもそこにあるじゃないかみたいなことも発想としてあったんじゃないかなと思うんですよね。大きな出来事、テロリスト・アタックとかそういうことだけが危機なんじゃなくて、日常に埋没しているもの──書き手の人、作り手の人はそれに意識的に反応しているケースもあればそうじゃないケースもあると思いますけど──をかたちにしようとするものなんだと。それも、書いてる人、作ってる人のヴァイタリティというか、そういう力を感じさせてくれるものでもあるので、そういうところで書き始めることに繋がったかなとは思ってます。榎本さんは、アメリカ文化そのもので言うと、神学に興味があって留学されたことはもちろんあるけど、例えば昔から幅広く音楽を聴いていたり、そういう触れ方の部分を教えていただけると。

 

アメリカに触れる

 

榎本 あ、そうですね。僕は元々アフリカ系アメリカ人の人たちの文化に興味があったというよりは、コーンの神学に興味があって、そこからもうちょっと広いアフリカ系アメリカ人の文化に触れるようになったほうなので、いろいろ知っているというよりは、自分の興味のあるところだけをかいつまんだようなかたちになるんですけども。でも音楽は本当に好きですし。音楽も彼らから直接得たというより、僕は細野晴臣とかすごい好きで、それを経由してソウルにいってみたり。だからヒップホップとか本当にほとんど聞いたことないですし、ビヨンセの『レモネード』も今回『アメリカン・クライシス』を読んでそれから見たぐらいですから、詳しくないです。

ハーン小路 それを言ったら私も、音楽について体系立てて勉強したとかではないので。私は世代的に90年代くらいに青春だったので、ヒップホップとかR&Bとかはもちろん聞いたんですけど、それだけ聞くっていう感じがまずなくて、何でも聞いたんですよね。あの頃の若かった人っていう感じで。パンクも好きだったし、いろいろある中でのヒップホップみたいな触れ方はしていたので、体系みたいなものを感じるようになったのってアメリカに行ってからなのかなあと思うんですよね。それはすごい感じました。行く直前にね、下訳みたいな感じで、ジェイ・Zとナズのラップを訳すっていう仕事があって。

榎本 ええええ、すごい。

ハーン小路 あとエミネムもやったんだ。歯がたたなかったですね。当時Googleが黎明期くらいだから調べ物があんまりできない。全然わからないみたいなことがあって、とっても打ちのめされたんですよ。それがいい経験になっているような気はすごくしますね。

榎本 ジェイ・Zはそれこそ押野素子さんに教えていただいたぐらいで(笑)[▶︎押野素子:翻訳家。翻訳作品にダンティール・W・モニーズ『ミルク・ブラッド・ヒート』、イターシャ・L・ウォマック『アフロフューチャリズム:ブラック・カルチャーと未来の想像力』など。]

ハーン小路 あ、そうなんですか(笑)

榎本 でもサイディヤ・ハートマンさんってジェイ・Zの「4:44」っていう曲のミュージックビデオに出てるんですよ。

ハーン小路 え! ほんとですか?! 知らなかった!

榎本 ぜひ探してみてください(笑)

ハーン小路 それはぜひ調べてみます。

榎本 っていう豆知識はありますけど(笑)

ハーン小路 面白い。ジェイ・Zは私、夫がわけわかんないくらい好きで、それで詳しくなったところがあるんですけど。ビヨンセもなんですけど、メインストリームでやってるけどちゃんと聞いてみると結構すごいんだな、みたいなことを思わせてくれた人たちかなあというのはありますね。

榎本 僕はニューオーリンズの音楽は好きですね。これもやっぱり古い人たちのほうが知ってるというか、今、晶文社さんの連載でやってますけど、それにアラン・トゥーサンのことを書いたり[晶文社SCRAP BOOK「B面の音盤クロニクル」連載第1回]。それぐらいの世代の人たちはすごい好きですね。

ハーン小路 なるほどなるほど。ニューオーリンズ、私もとっても大好きな土地だし、音楽的にもとても豊かで。いろいろ書きたいことがあるんですけどね、場所でしばって何か書けたらいいなっていうのが結構……。

榎本 あ、いいですねえ。書いてほしいです。

ハーン小路 さっき打ち合わせでお話したんですけど、榎本さんがいらっしゃったノースカロライナのチャペルヒルってすごくいい所らしいんですよね。南部だけど四季がちゃんとあってみたいな。

榎本 ノースカロライナって秋と春がすごい長い感じ、日本で言うと。だからもうずっと半袖で過ごしていられて。雨が多いとかじゃなくて、紅葉があって、すごい季節が良くて。

ハーン小路 私は最初ミシシッピにいて、次フロリダに行って、アラバマに行って最後ミシシッピに戻ったみたいな感じで、ディープ・サウスばかりにいたので、全然違うんですよね。飛行機降りた途端に湿気で息ができねえ、みたいになってきてね(笑) なので、あの気候の感じって人の精神に影響を与えるとはすごく思います。好きなんですけどね、だからそれがちょっと懐かしい感じはするんですけど、飛行機を降りた途端にむっとする感じというか。今でも懐かしく思い出します。

 

誰に向けて書くのかが重要なんだとずっと言われてきた

 

榎本 ハーンさんは、もうちょっとパーソナルというか、批評だけどパーソナルみたいなそういう文章を書くような予定はあるんですか?

ハーン小路 そうですね。本当に冗談でいつも編集者さんに、もうこの『アメリカン・クライシス』を一つ書いたんで、あとは余生と思ってエッセイ漫画をとか言ってるんですけど、漫画描けないんでね。実はこの本を構想していた当初はもうちょっと柔らかい感じを考えてたんですよね。でも、妙に真面目なところも自分ではあるのか、どうしても論文としての体裁とかを考えてしまうほうで、あんまりその枠から外れることは、本が出来上がってみるとなかったんで。

榎本 へええー。

ハーン小路 まえがきとかあとがきとかにいろいろ込めてるというところは……。

榎本 いやだからそうなんです! まえがきとあとがきが僕、この本すごい好きで。

ハーン小路 ありがとうございます。

榎本 いろいろ聞いてみたいところがあったんですけど。『アメリカン・クライシス』のあとがきで、「若いころにはうまくいかなかった文化研究的な手続きを本書では迷いなく踏むことができ、文学や映像、音楽といったさまざまな文化的創作物を、優劣つけずに自由に往還しながら分析することができたと自負している」と書いていらっしゃいますけど。若い頃できなかったっていうのは何なんですか? いわゆる論文みたいな形式で書くことに何か疑問があったのか、それとも、能力的というか、自分の実力的なところでできなかったのか、何なんですかね。というのも僕もすごいそれは悩んでるんです、今まさに。だからすごく聞いてみたいなと思ってたんです。

ハーン小路 私の場合は、英文科で勉強するというのは、メソッドががっちりあって、特に伝統的なタイプのプログラムだと、そもそも文学作品以外をやるという選択肢がはなからない感じだったんですよね。なので、ビヨンセ??みたいな感じになるので、とてもとてもみたいなことで、ほんとに選択肢になかったんです。映画ですらなかったって感じで。それもよく考えてみれば変な話で。だって文学作品についてすごく好きで熱く語るのと同じレベルで教室の外ではあの人のあのアルバムよかったよね、この映画すごいよねとか語っているにもかかわらず、研究の対象にするのにはどうやって形にしたらいいのかわかんないし、制度的にもいまいちできないって。やっぱり英文科ってそういうメソッド重視なので。だから文学以外のテクストを扱えるようになったのは、学位とってから、ですね。

榎本 そうなんですね……。

ハーン小路 榎本さんが悩んでいらっしゃるっていうのは?

榎本 博士課程に入ってから特にですけど、学術的な方法論に則ってある一つの主張をしていくところで僕はずっと躓いてきたというか。だから『それで君の声はどこにあるんだ』はそういうことができない自分へのある種劣等感というか、できませんでした、みたいな気持ちもないことはない。でも、その反面、そういう方法論に則って書くことの権力性みたいなものも十分自覚できるし、特に僕が届けたい人だったり僕が読んでほしいと思っている人たちは、そういう文章を読むように訓練された人たちでもなければ、多分そういう文章を読めない人が多いだろうし。こういうのはほんとにジェイムズ・コーンとかに教えてもらったんですけども、誰に向けて書くのかっていうのが重要なんだとずっと言われてきたんで、そうすると別にこの『それで君の声はどこにあるんだ』みたいな書き方でよかったなっていうふうにも思うし。でも今、自分が博士論文を書くっていう段階になった時にどうしても踏まないといけない手続きがあったりとかして、そこで四苦八苦してるところはあるんですけど、僕の指導教授なんかは理解がある人で、自分の好きな、自分の書ける文体で書いてくれたらいいし、とは言ってくれてるんで、そこは安心しているんですけど。

ハーン小路 すばらしいですね。沖縄がご専門の方なんでしたっけ?

榎本 そうですね。ノースカロライナで拾ってくれた先生なんですけども。

ハーン小路 すごいですね。なんという縁でしょうって感じですよね。

榎本 そう(笑) ユニオン神学校のプログラムは1年で、1年先のことはまったく決まっていなかったんで、その間にどうにか決めないといけないことになって。僕は沖縄のことが書きたいなとずっと思っていたんで、それができる博士課程に行こうとすごい単純な頭で考えて、いろんなところにアプライして。アメリカの博士課程に入学するのって、ある意味、地獄のようなプロセスで、二度としたくないなと思うぐらいなんですけど。

ハーン小路 そうですね、私も。

榎本 とにかくいろんなところにアプライしなさいって言われるんですよ。だから全然自分が知らないようなところでもとにかくアプライするみたいな感じで1年やったら、結局その時はどこも受からなくて。受かったとしても生活費がもらえなかったりで、どうやって行ったらいいんだろみたいな。で、僕は1年間、OPTというビザをもらって。学位をもらったら1年間留学生でも働けるというビザがあるんですけど、それで1年間働きながら、また博士課程に性懲りもなくアプライして(笑)。なんでやったのかと思いますけど、その2回目の挑戦で、神学部はいろいろアプライしたんですけど結局全滅で、一つだけ拾ってくれたのがノースカロライナ大学チャペルヒル校の人類学部。なぜかというと、そこに沖縄を専門としているクリストファー・ネルソンという、沖縄でエイサーや沖縄の芸能をフィールドワークされた人がいて、その人に拾ってもらえて。なんかそういう……いや、今思い出してもなんか、胃がキュッとなるというか。

 

黒人のアフリカ系アメリカ人の世代間ギャップ

 

ハーン小路 ほんとですよね。なんであんなつらいことしたんだろうと思ってます(笑) ほんとに。同感です、私も。私と榎本さんのアメリカ文化に対する興味というのも、共通するところもあるし、なんか違うところもあるし、いろいろだなあと思うんですけど。『アメリカン・クライシス』で言うと、私は榎本さんとお話するんだったら、アフリカ系の作家とか文化とかを取り入れた部分がいいかなあと。ジェズミン・ウォードはもとから読んでいらしたんですか?

榎本 そうですね。ジェズミン・ウォードはなんで知ったのかな。日本語から読んだ気がします。『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』『骨を引き上げろ』(共に、石川由美子訳、作品社)も青木耕平さんの解説がすばらしい。

ハーン小路 青木さんって榎本さんファンでいらっしゃると思うので、これを聞いたら大変にお喜びになるのではないかと思います。

榎本 この青木さんの附録解説から入ったんですが、何かもうこれ以外の読み方ができなくなって困ってしまってるんです。すばらしい紹介文だなと思って読んで、それからですね。この『アメリカン・クライシス』でも取り上げられていて、それでまた読ませてもらって。僕がウォードとかで好きなのは、自分の声はどこにあるんだという問いと繋がってくると思うんですけども。ある種の、言わざるを得ないようなことを言っていると。わかりますかね、自分の歴史があって、その中で人は生きているんだけれども、そこから押し出されるというか。もうこれしか言うことがないんだっていうのがきっとあると思うんですけど、特にアフリカ系アメリカ人の方々とかいろんな苦しみを背負ってきた人たちは、そういうものがあると思っていて。そういう中で、それを引き受けてそこに言葉を与えているみたいなところが僕はジェズミン・ウォードとかにはあると思っていて、そこに共感しますね。僕にとってはそこに応答していくことが自分の声になるんじゃないかみたいなことをジェイムズ・コーンとかに教えてもらいながら書いたと思っていて。どうなんですかね、はい。

ハーン小路 そうですね、ウォードはほんとに、なんかすごい切迫感を持って書いてる人だなあと思うんです。ちょっとしばらく書くのがしんどい時期もあったのかなという感じらしいんですけど、また新しい長編[Let Us Descend(2023)]が出るらしいんで、それも楽しみにしてるんです。ウォードとか他のアフリカ系の若い世代の作家について思うのは、伝統や歴史というものとどうやって対峙するんだろうっていうのをすごい考えて、単純に受け継いできましたっていう話でもなく、親世代とか祖父母世代とかもっともっと前の世代と何か繋がれてないような、断ち切られちゃったような、そういうジレンマを抱えながら書いてるような感じがすごいするんですよね。ウォードにしろ他の作家にしろ、それが母親的なものとどうやって関係を作っていくかがテーマになっているんじゃないかなという気が個人的にしていて、それは『アメリカン・クライシス』でもいろいろ考えたなと思って。単純に母的なものを礼賛したり賛美するだけではちょっと駄目になってしまったかなみたいな。そういう、母的な愛情を発揮したり、また愛されたりとかすることから、疎外されちゃってる感じっていうのかな。それをすごい感じるんですよね。ひょっとしたらハートマンの『母を失うこと』に書いてあるような問題とも通じているのかなと思ったり。

榎本 そう、僕もこの『アメリカン・クライシス』第4章の「エコロジーをダーティにせよ」のところですごく感じたのは、黒人のアフリカ系アメリカ人の方々の世代間のギャップというか。特に、公民権運動とかブラックパワー運動とか、あの世代に活躍してた人たちの子供とか孫ですよね、今書いてる人たちっていうのは。そこで前の世代と違うのがきっと、公民権運動とかのあの高揚っていうのを経験せずに、むしろ、その後の運動の失敗や、運動があったにもかかわらず黒人の状況はむしろ悪くなる一方で、オバマが誕生したけれども、黒人は警察に殺されるし、ドラッグがあるし、貧困の問題があるしっていうことになってきた時に、ある種の悲観主義じゃないですけど、ペシミズムみたいなものが通底してあるのかなって。公民権運動時代の母というのが、自分を守ってくれる存在で、ジェイムズ・コーンなんかもそういう側面があると思うんですけど、母というものに対してすごいポジティブなイメージで語るところがあるけれど、でもその次の世代の、例えばハートマンであったり、ウォードであったり──ウォードはまた次の世代だと思うんですけど──になると、母の存在だったり、単純に自分の母親ということだけでもなくて、例えば母国、自分のアイデンティティ、自分を自分たらしめるものに対する絶対的な懐疑みたいなのがあるような気がしますよね。それはただ単に断絶としてあるんではなくて、そこから自分たちは新しいものや違う可能性を生んでいくんだという強さみたいなものも同時にあるのかなと。

ハーン小路 確かに。なんか母っていうと、私も引用してるけど、アリス・ウォーカーって人がいて。私が博論で取り上げたのがゾラ・ニール・ハーストンっていう人なんです。

榎本 そうなんですか! へえーー。

ハーン小路 そうなんです。ゾラ・ニール・ハーストンっていうのは1930年代くらいにすごい売れて活躍したんですけど、その後は不遇の時期を過ごした。死んだ時はもう誰にも覚えてもらっていない状態で、アリス・ウォーカーがハーストンの墓をわざわざフロリダの田舎に探しに行って見つけて、そのことをエッセイに書いたっていうのがきっかけになって再評価が進んだ。だからちょっと母系の伝統を取り戻したみたいなところがあるんですよね。で、それにすごい惹かれる気持ちがあると同時に、なんかちょっとしっくりこないものもあって……世代的なものかもしれないんですけど。だからウォードとかが感じているギャップ、母的なものにアイデンティファイできない、自分もあまり母っぽくできない人物を描いていることのリアリティのほうがやっぱり強く感じるんですよね。なので、世代の違いはあるのかなあとは思ってますね。

榎本 そうなんですね。『それで君の声はどこにあるんだ』のエピローグは、僕がコーンの墓を訪ねるっていう話なんですけど。それこそその時にアリス・ウォーカーのゾラ・ニール・ハーストンの墓を探すっていう文章を読んでいて[I Love Myself When I am Laughing(2020)に収録]、ああ、こういうふうに最後終わったらいいだろうなと思って、すごいインスピレーションを受けた文章の一つですね。あの文章面白いですよね?

ハーン小路 すごいすごい、パワフルな。

榎本 墓が見つからないんですよね、それでいろんな人に聞いたりとかして。印象深いです。僕は今、人類学者で、基本的に人類学者って自分の知らない土地に行って研究するのが基本的な姿勢だから、白人の男性がアフリカの奥地に行ってそこの民族のことを研究する、それが基本的なかたちとしてずっとあったんだけど、でも僕はなんかそうではなくて、自分が育った場所に帰ってくる、自分のコミュニティに帰ってくるみたいなことをしていて。そうやってやろうとした時に、じゃあ誰を先生としたらいいか、一つの目標にしたらいいかって言うと、やっぱりゾラ・ニール・ハーストンとか、そういう人たちなんですよね。

ハーン小路 ですよね! なんか絶対そこで繋がるはずだって思ったんですよ!

榎本 ゾラ・ニール・ハーストンの専門家の方なのかと思って、それ知らなかったんで、すみません、母の話でしたね。

ハーン小路 でもハーストンって人類学者としてはかなり面白い破格の人で、自分が生まれ育った南部にリサーチに行っていろいろ聞き取りして書いたっていう人なんですよね。あのリサーチ・メソッド自体は結構あやしいとこもいろいろあって、剽窃疑惑とかもいっぱいあるんですけど。あやしいところはあやしいんですけど、でも面白いんですよね、すごく。自分のうちに帰ったからって完全にat homeで書いてるわけでもなくて、やっぱり北部から戻ってきた学のある人なんだねと周りからは思われるから、その微妙な距離感なんかも実は読んでいると結構入っていて、そこがむしろ面白かったりするんですよね。

榎本 僕もだから、中学までこの島にいたんだけれども、本当に今、人と出会っても、え、君何してるの?みたいに何度も何度も問われるんですよね。それで一応アメリカの大学院に所属していて、みたいな話をしても、結局多分まだ誰もイメージできないんですよ、当然。中学校までしかない島で、大体ほとんどの人は大学に行かないっていう島でそういうことを言っても誰にも理解してもらえないし、自分は何をやってるんだろうな、みたいなことを思うことは本当によくあって。帰ってきたけれども、帰ってきてないし、内側の人間なんだけれども、絶対的に外側の人間でみたいな……ゾラ・ニール・ハーストンの気持ちがちょっとわかるなっていうのはよく思いますね。故郷では歓迎されないっていうのがあります。

ハーン小路 そうなんですよね。『騾馬とひと』(Mules and Men)っていうのが、まさに南部に行ったことを書いているんだけど、第1部の終わりくらいだったかな、ジョージア州にいたんだったかな、バーの喧嘩に巻き込まれて刺されそうになって逃げる、っていうので終わってて(笑)。命からがら逃げてニューオーリンズに行くんですけど(笑)。そういうこと一つでも、ある種の階級不安というか、そういう場面に直面した時の感じを本にそのまま入れこんじゃうのがこの人はただものじゃないなと思うんですけど。フィクションみたいに書いちゃうわけですよね、ものすごい臨場感を持って。面白い人だなあって。

 

バーバラ・ジョンソンのハーストンの読み方にすごく心を打たれた

 

榎本 ハーンさんはそれこそなんでゾラ・ニール・ハーストンにいったんですか?

ハーン小路 それがね、留学直前に急にハーストンじゃないかなあと思い出したんですよね。何だったのかなあって今でも思ってます。『アメリカン・クライシス』第5章の『キャンディマン』のとこで引いた、バーバラ・ジョンソンっていう脱構築の時代の文学批評の人が書いた『差異の世界』という本の中で、ハーストンの『彼らの目は神を見ていた』(Their Eyes Were Watching God)を扱って、なおかつベル・フックスの Ain’t I a Woman なんかも結構重要な読みの過程で出てくるんですけど。このバーバラ・ジョンソンのハーストンの読み方にすごく心を打たれたんですよね。というのは、脱構築ってイエール大学を中心に一世を風靡した批評の一派だったんですけど、大体すごく男性が多くて、研究の対象にしてるのはイギリスのロマン派詩人とかばっかりで、そんな中で黒人女性作家を読むなんていうのは、そんなことを教える人は他にいないという感じで、そういう意味でバーバラ・ジョンソンの功績って大きかったかなと。それを留学前のある日読み返した時に、すごくしっくりきたんですよ、なぜか。

榎本 へえー。

ハーン小路 そのままミシシッピになだれ込んでいった、みたいなところがありますね(笑) そのままの流れで行きましたね。

榎本 なんかすごい納得できました。この『アメリカン・クライシス』って何度もゾラ・ニール・ハーストン出てくるじゃないですか。

ハーン小路 はいはい、そうなんですよ。

榎本 なんでなんだろうなってずっと思ってたんですよ。そういう背景があったんですね、知らなかったです……へええ、そうなんだあ。

 

失敗が学問的な試みの暴力性を暴き出す

 

ハーン小路 ハーストンもいわゆるマザーテクストみたいな感じで南部文学の作家たち、アフリカ系の作家たちにとってはやっぱり大きい存在だろうし、だからといってそのまま真似もできない。それはトニ・モリスンにしてもそうなのかな、彼女は南部の人じゃないけど。ジェズミン・ウォードとかは多分すごいモリスンも好きで、ものすごい影響を受けてるけど、その距離の取り方っていうのかな、何か絶妙に感じますね。

榎本 そうですね。トニ・モリスンはサイディア・ハートマンさんもすごい影響を受けてると思いますね。ハートマンさんの大きなテーマの一つにアーカイブというものがあって。黒人であったり奴隷であった人たちの物語を歴史として書こうとしても結局資料がなかったり、あったとしても残されているのは例えば奴隷主人の残した、この人はいくらでとか書いてあるような文章で。奴隷というものをかたちづくった暴力を再生産するような形でしか彼らの存在を語れないというすごい大きなジレンマがあって、どうやって奴隷の物語を書いたらいいんだっていう時に一つ参照するのがトニ・モリスンの Be Loved とかで。結局あれがやったことっていうのは、新聞の三面記事みたいなところに書いてあった奴隷の母親が子供を殺したという話から、あの小説をこう書いたみたいな。ああいう行為をハートマンさんは学問の枠組みの中でやろうとして、ある意味失敗しているんだけども、でもその失敗することによって、そういう学問的な試みの暴力性っていうものを暴き出してるみたいなところがあって、僕はすごい共感するところなんだけども、でもだから、トニ・モリスンとかの影響っていうのはすごくいろんなところにあるなと思います。

ハーン小路 そうなんですよね。奴隷制とどういう距離をとり得るのかというのが、一つすごい大きなアフリカ系の人の問題としてあるのかなというのはずっと考えていて。黒人の自伝の伝統みたいな授業もとっていた時があって、その時に、アフリカ系の修士の学生が来てたんだけど、「私の家系には奴隷はいない」って突然その人が言ったんですよね。「Ancestry.comみたいので調べた私は。一人もいないんだ。」って言い切って。みんな押しだまるわけですよ。その場にもちろんほかのアフリカ系の学生もいるんだけど。じゃあ奴隷だったらなんかダメなのかみたいなことで、ものすごい沈黙が降りたんですよね。っていうのをなんかよく思い出すんですけど。そこにいた他の黒人の学生たちも彼女を批判するとかそういう立場でもなく、本当に距離のとり方って難しいし、もし奴隷の先祖がいることを恥なのだと思ってしまう人がいたんだとしたらそんな簡単に否定もできないしっていう、難しさを感じるエピソードとしてよく思い出すんです。

榎本 まさにこのサイディヤ・ハートマンさんの『母を失うこと』という本は、ハートマンさんがガーナに行って、ガーナの人たちと会話する中でのすれ違いっていうのがたくさん書かれていて。何度聞いてみても、ガーナの人たちは自分の祖先は奴隷ではなかった、むしろ奴隷を保持していたことを誇りにするぐらいで、自分の祖先が奴隷だったことは絶対に言わないし、それがあったとしても言わないんだというようなことが書かれてますけど、奴隷制との距離というのはそれぞれあるなと思います。

ハーン小路 アフリカの人からするとアフリカ系アメリカ人の歴史というのは全然わからないんだろうなって。生きてきた時間の感じが違いすぎてっていうのが……。私も今回榎本さんに『母を失うこと』の翻訳原稿を読ませていただいたんですけど、その苦しさみたいなものがずっと出ている本で、結構読んでるとしんどいんですよね。だからつらい本ではあるんですけど、そんな中でどうやって書かれていない、誰も語らないことを見つけていくんだろうって。見つかったのかっていう話なんですけど。見つかっていないんだけど、その失敗の中に何かがあるタイプの本では確かにあるんですよね。

 

奴隷制の記憶が現在の非人間化の過程に対して言葉を与えている

 

榎本 奴隷制との距離という話で言うと、『アメリカン・クライシス』でジェズミン・ウォードについて書かれている第4章の「ヴードゥーとエンパワメント」のところで急に奴隷制の記憶が浮上してくるところがすごくパワフルだなと思ったんだけども。奴隷として新大陸に連れてこられた祖父の曾祖父の物語をめぐってこの本の中で、奴隷制の記憶がある種、現在の非人間化の過程に対して言葉を与えているみたいな。つまり、今自分たちが刑務所とかで経験している動物化の経験は奴隷制の時代に起こったことの反復なんだみたいなかたちで今の状況を理解するというところがすごいパワフルだなっていうふうに思ったんですけども。この手つきっていうのはハートマンさんとかがやってきた学術的な営みとすごく共鳴するところで、ハートマンさんは奴隷制の余生っていう言葉を使うんだけども、奴隷制の記憶というか、歴史がアフリカ系アメリカ人の現在に覆いかぶさっていて、そこから逃れようにも逃れられなくて、でも同時にそれが自分たちに言葉を与えてくれているというか、そういうところをこの箇所に思いました。

ハーン小路 確かにそれはすごい感じます。そこの部分はモリスンの影響とかもすごい感じるところで、現代のお話を書いてるのに急にぼーんって出てくるところがすごいインパクトがあるんですよ。一応『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』の主人公リオニーという人自身はそういうところから本当に断絶しちゃって何かよく分からないまま生きているみたいな苦しみを抱えてる人なんだけど、父親が昔のことを曾祖母から聞いた話みたいなので全部繋げてくれる、繋げてくれるという言い方も変ですけど、そこは強力な結節点になってる箇所だと思いますね。現代の作家を見ていても、特に2000年代以降なのかなあ、トニ・モリスンの影響力がしっかりと定着して、その後で出てきた世代の人たちはそういうのを受けとめて書いてるなって気はすごいするかなあ。だから、その奴隷制の歴史を探ることにある種自分達が今抱えてることの問題の根底みたいなのを見るということとの関連で言うと、アメリカの声を聞くっていうだけじゃなくて、やっぱり死者の声を聞くことも大事なのかなって、それって私も榎本さんも両方考えていることっていう感じがするんですよね。それで、私が榎本さんの『それで君の声はどこにあるんだ?』で一番好きだったのが第Ⅱ部の「5 アリマタヤのヨセフ」で。このセクションで榎本さんは、イエスが磔刑にされた時に、その亡骸を引き取って埋葬したっていうアリマタヤのヨセフっていう人がいる、その人に自分をなぞらえるっていうところから始められて。これも不思議な縁なんですけど、ビリー・ホリデイの「奇妙な果実」の話も出てくる。私もちょっと『アメリカン・クライシス』のあとがきで書いてるんですけど。そして、死んだ人の名前を呼ぶことで象徴的な埋葬を行なう、ブラック・ライヴズ・マターがまさにそれをやっているわけですけど。そこの繋がりが私はすばらしいと思って最も感動した箇所だったんです。だからこのことに関連して伺いたいのが、アフリカ系アメリカ人の文化にとって、死者の声をどうやって聞くのか、死者をどうやって埋葬するのかということがすごく大事な気がしていて、榎本さんなりのお考えを聞かせていただけたら。

 

喪失の後を生きる

 

榎本 このアリマタヤのヨセフ自体のアイデアは、そもそも台湾いた時に考えていたことで、台湾にいた時に僕は何をしていたかというと、一つには大学の授業でC・S・ソンっていう先生から学んでいたんですけども、夏休みとかは、台湾に原住民の方々がいらっしゃって、そこの村にフィールドワークみたいな形で住んで、その村にいる長老みたいな人のところに行って、その人に昔の話をいろいろ聞かせてもらったり。台湾は日本に植民地支配を受けてましたから、特にその時代のことについて聞いていたんですけども、そういうことをひと夏ずっとやって、それをやってる自分は何なんだろうなって思った時に浮かんできたのがこのアリマタヤのヨセフの姿で。結局死というものがあって、死というのは勿論個人の死でもあるし、集団的な死でもあるし、奴隷制も死ということだろうし、植民地支配もある一つの死であると思うし、そういう一つの断絶がある、でも断絶の後の時間も確かにある。イエスが死んだ後、イエスは急に復活したんじゃなくて、それを埋葬した人がいて、だから復活が準備されたみたいなことをすごく思うようになって。自分がやってることは、その死の後の埋葬みたいな行為なのかなと漠然と思ってそれを修士論文にしたんですけども。その時は、その台湾の人達の埋葬の実践というのがあって、身体はどういう向きで埋葬するかとか細かい規定があって、そういうところとの関連で考えてたんですけども。でも、その後にアメリカに行って米国人の人達に学ぶようになって、彼らも死の後を生きてる人達だなと。それは勿論奴隷制でもあるけども、それだけじゃなくて、その後のジム・クロウも、その後の警察の暴力も、ジョージ・フロイドも、本当にいくつもの死の後、生きている人たちで、その後にブラック・ライヴズ・マターがあって、それは僕のレンズで理解すると、死者をないがしろにしない、死者を埋葬するような行為でもあるんじゃないのかというのがほとんど直感的なものとしてあって。そういうことを考えていくと、文化的にも埋葬の行為のような、死者を引き継いでいくような行為がたくさんあって、その一つがビリー・ホリデイの「奇妙な果実」。あれは完全にジェイムズ・コーンからの受け売りというか、彼から教えてもらったような歌で、それを引用したり。黒人であることは喪を生きることだ、一つの痛みの空間をずっと引きずって、それを生きていくことなんだって言う批評家の人達っていうのがたくさんいて、そういうところから僕は学んだという感じですかね。

ハーン小路 そうですよね。奴隷制から何回も何回も同じような死が、暴力が、繰り返されるということがあって、それを弔い続けるっていうところはある。それが母の話と繋がってますよね、絶対。

榎本 うん、そう、そう思います。喪失の後を生きるっていうことなんですかね。

 

喪失によってしか自分の母親が誰かわからないみたいな喪失

 

ハーン小路 ある種の親密さから疎外された感じがすごいあるのかなって。思い出すのが、フレデリック・ダグラスの自伝で、子供の頃の話を最初のほうでわりと書いてるところで、お母さんがプランテーションで働いてるからいなくて、たまにすごい時間をかけて自分達がいるクオーターのところまで帰ってきてくれて一瞬会うんだけど、またすぐいなくなるみたいな。とにかくお母さんがいない、家族がいないっていう。奴隷の人の経験の根底にあるのって、私達、現代にいるとなんとなくアフリカ系の人って家族の絆が強いみたいなイメージを持ちがちだと思うんですけど、歴史的なことで言えば、家族の繋がりを持つことがまず許されない世界に生きていて、自分の子供がまず自分のものではない、主人の所有物であって、自分にはどうすることもできないし、引き離されたりする。結局フレデリック・ダグラスも散り散りばらばらになってお母さんとの繋がりとかを回復できないままにずっと生きていったんだと思うんですよね。その後、その家族関係の薄さゆえに家族にこだわって書く人もいるのかもしれない。それを一つ重要なファクターとして見てるところがあるかなと。

榎本 ホーテンス・スピラーズの “Mama's Baby, Papa's Maybe: An American Grammar Book”っていうすごい重要な論文もありますけど、まさにそういう母の喪失っていうのが一つの文法としてアフリカ系アメリカ人の中で引き継がれてきたみたいな話ですよね。

ハーン小路 そうですね。ホーテンス・スピラーズもサイディヤ・ハートマンと並んで今ちゃんと読み返されないといけない批評家だなと思ってるんですよね。その母親性っていうものの捉え方もそうですしね。

榎本 確かに。それで言うと、サイディヤ・ハートマンさんも Beloved のシーンを引用して、セスが自分の胸を刺し、そこに自分の胸に何があるかというと、奴隷になった時に押された十字架の焼印で。もし自分の子が顔がもうわからなくなって、誰がお母さんかわからなかったら、自分のこの焼印を見たら自分がお母さんだってわかるから、みたいなことを言うっていうところを引用しながら、誰がその奴隷の印である焼印によって自分の母親を識別したい人はいるだろうかみたいなことを書いているんだけども、まさにそうで、喪失によってしか自分の母親が誰かわからないみたいな喪失、というのがあるのかなっていうふうに思いますよね。

ハーン小路 それはBeloved の強烈なシーンですよね。

 

自分なりの喪失っていうのがあって、それで書く動機が生まれた

 

榎本 そうですよね。弔いや喪という話で言うと、ハーンさんの『アメリカン・クライシス』自体が持っている喪の次元というか、喪失の次元みたいなものがある気がするんですけども。あとがきを読んでいると、お父様の話が出てきて、あの奇妙な果実もお父様から教えてもらったんですよね? そのお父様がいなくなったということも書かれているし、最初にも言いましたけど、一読しただけではある種正当な批評の書だと思うんですけども、でも根底にはすごいパーソナルな手触りみたいのが流れてるし、それが喪であったり、痛みっていうものと関係しているのかなんていうふうに思ったりしたんですけども。

ハーン小路 そうなんですよね。立て続けにいろんな人が死んだなあみたいなことがあって、なんとなく考え出したんですけど、それが本の構想をする時期とちょうど重なっていたり、自分が留学している間に尊敬していた人たちが亡くなってしまったりしたというのがあって。あとは本当に原体験としてというか、これを言うと話ができすぎで、自分でもちょっと記憶捏造してないかとか思うんですけど(笑)、「奇妙な果実」は父親に教えてもらったのをとってもよく覚えていて。しかもそういうのがあまりわからない年頃で「こういう歌があるんだよね」って言われたので。だから当時ピンとくるわけがないんですよね、多分10歳くらいなので。まったくわからないままに、そうなのか、こわいな、と思っていたんだけど。うちの父親は戦中世代なんですけど、アメリカ文化に受けてきた影響っていうのがものすごい強い人なんですよね。戦後、アメリカ文化がわーって入ってきたのをものすごい吸収して若い頃を生きてきたっていう感じで、西部劇なんかももちろんすごい好きだったんだけど、一方で不思議と、独特のアメリカの人種問題っていうのを折に触れて教えてくれたんですよね。それこそキング牧師の演説の話もそうだし、あとは日本語だと『アラバマ物語』と訳されてる To Kill a Mockingbird。アメリカだと中学生あたりでみんな読まされるような本なのですけど、南部の人権弁護士が白人女性をレイプしたかどで投獄された黒人男性を弁護して、それを見ている彼の子供が視点人物になって描かれている物語なんだけど、それもやっぱり父親にこういう本があるんだよとか聞いて、こわいなあ、としか覚えてないんですけど。子供としては何もわからない、でも残ってるんですよね。

榎本 その作品引用されてますよね。

ハーン小路 そうですそうです。ハーパー・リーっていう人が書いた『アラバマ物語』の続編を第2章で取り上げているので、それも含めてなんですけど、父親からいろいろ教えてもらったなあっていうことは一つあって。でも、本は届けられなかったのであれですけど、読んだら多分喜ぶだろうなっていう感じはあったんですよね。だからそういうことをちょっとあとがきではあれこれ振りまいてみましたけれども。

榎本 あとがき、僕はほんとすごい好きでした。

ハーン小路 ありがとうございます。そう、だから、榎本さんの本を読んだ時に、「奇妙な果実」を発見して、あっ!て思って。妙なつながりというか縁みたいなものも感じたんですよね。

榎本 僕もこの『それで君の声はどこにあるんだ?』という本は、コーンが亡くなった後に書いたものなので。その前に自叙伝を翻訳してたっていうのもあるんですけど。コーンがいなくなったということとどういうふうに自分なりに折り合いをつけるというか、自分なりに理解したらいいんだろうかみたいな問いは、きっと根底にあったと思うし。一番読んでもらいたい人には結局読んでもらえないみたいなところの無念みたいな、無念でもないけど、むしろ読んでもらったらちょっとこわいなみたいなところも(笑)

ハーン小路 確かにそれはそれで(笑)

榎本 そういう自分なりの喪失っていうのがあって、それで書く動機が生まれたみたいなところはある気がします。

ハーン小路 うん、そうですよね。やっぱり初めての本じゃないですか。で、君の声がどこにあるんだっていうすごい重要な問いがあって、それを見つけていくプロセスを書いた本だなってすごく思ったんですよね。それってアカデミズムの中に基本的にはいるんだけど、それだけじゃない部分で書いてる人の書き方だよなっていうのはすごく感じたんですよね。ある意味そういう意思表明みたいな本にもなってて、そこにすごい惹かれたっていうのはありますね。

榎本 ありがとうございます。そう言っていただける方がアカデミアの中にいるっていうのはすごい心強いことだし。

ハーン小路 結構榎本さんのファンいますよ(笑)

 

フェミニズムの伝統にすごい僕は今、恩恵を受けている

 

榎本 怒られるんじゃないかと思ったりしたんですけど(笑) 特に黒人のことなどに関しては、僕はアカデミックなトレーニングをちゃんと受けた者ではないし、そこで自分がここまで書いていいのかなっていうのはすごくあったし、だからすごい良かったなと今は思っています。でもまだ自分の声っていうのは探してる途中だなっていうのは常に思っているし、今のこの伊江島でのことっていうのをちゃんと書けた時に、やっと少し見つかるかなって思っているようなところです。ずっと伊江島のことが書きたくて、この10年間ぐらいずっと模索してきたところがあるので、ようやく今ここに戻って来られて、いろいろ助けてくれる人も現れて、書けるかもなっていうふうに思えてきたので。それがすごいありがたいことだなと。

ハーン小路 体裁としては論文ということになるんですかね。

榎本 そうですね。博士論文には一応なると思うんですけども、でもやっぱりパーソナルな手触りで、サイディヤ・ハートマンさんの本もそうですけど。自分っていうものを無にした形では書けないし。でも今の人類学の枠組みだとわりとそういうことも許容されてきているし、特にフェミニズムの伝統だと思うんですけども、書き方っていうこと自体、何を書くかじゃなくて、それをどう書くかということ自体も革新していこうという運動がずっとあった中で、その伝統にすごい僕は今、恩恵を受けているというか。もっと自分の声に近い形で論文というものを産出できる環境というのがあるので、それに甘えようかなと思っています。

ハーン小路 そうですよね。ハートマンの本もすごくパーソナルなところがある本で、彼女はすごい鋭い理論家でもあるから、結構読んだ時びっくりしたっていうか、他の本と手触りもちょっと違う、ただならぬものがあるなっていう感じがあって。だから本当にお手本になる本というか、自分の入れ込み方みたいものを考える上ではとっても重要な本だって思いましたね。

榎本 それが本当に難しくて、自分語りというか、今、オートエスノグラフィーっていう分野があるんですけど、「私」っていうのを中心にして、民族史、エスノグラフィーを書くっていう運動があって、でもその中には肥大化した自己みたいなものをただただ提示するみたいな作品もたくさんあって、そういうものは本当に読むに堪えないというか。読んでいても全然面白くないような文章もあるんだけれども。でもハートマンさんなんかはそこがすごい上手だし、個人のことを語ってるんだけども、ああでもこれ、ここにかかってるのは彼女だけのことではないなというか。そこにもっと広い共同体みたいのがあって、そういう人たちの存在っていうのを書けているんだろうなっていうのがすごい伝わってくるんです。それはきっと、死者たちでもあるだろうし、今生きている、本当に大変な、苦しんでいる人たちでもあるだろうし、そういう人たちの存在が文章に重量を与えてるところがある。

ハーン小路 黒人文学の基本になってるのって、スレイヴ・ナラティブとか自伝の伝統があるって思うから、その上にもちろんあって書いてる作品だっていうのは強く感じるんですけど、それこそスレイヴ・ナラティブってほんといろいろで、さっきも触れたフレデリック・ダグラスなんか読んでると、ものすごい達成感とともにやってるようなところもあるし、しかも何回も自伝書いてるし、なんかしっくりこない感じがちょっとあったりするんですけど。あれの話なのか、結局はこれはみたいな。結局、スレイヴ・ナラティブって自分だけのために書くんじゃないっていうのが基本的にはあって、読み書きができる人自体がほとんどいないわけだから、いる時点で、他にその背後には読むことも書くこともできない人たちがいっぱいいて、その人たちを代表して書いているっていう側面がすごく強いんだと思うんですよね。それが何か男性の自伝の伝統ってなってくると、やったぜ、みたいな達成感が前に立っちゃってる気がしなくもないんですよね。ハートマンさんの本なんかに感じるのは、そういうのじゃないっていうか、失敗してる。

榎本 うんうん。

ハーン小路 失敗してるし、失ってるっていうのがむしろ起点になってるっていうのがなんか全然違うなっていうふうに。

榎本 そうなんですよね。ハートマンさんは、自分はロマンスをもう拒否するんだというふうに言っていて、自分の書くモードは悲劇なんだっていうふうに書いていて。これってハートマンさんのキャリアの最初からそうで、彼女が最初に書いたことっていうのは、奴隷解放が本当に奴隷解放だったのかっていう問いから出発されてる方で、彼女にとってみれば結局奴隷制があって、それから解放されたぜっていうようなナラティブ、リベラルなナラティブっていうのは欺瞞というか、そうではなくて、むしろその後も奴隷制は形を変えて続いたんだっていう、すごく重要な指摘をした人なんだけども、でもその歴史観でいくと、本当にロマンスが不可能になってくるというか、その後の例えばそれこそ、この『母を失うこと』が一つアンチテーゼにしてるのは、アレックス・ヘイリーの『ルーツ』ですけども、アフリカに行って、本当の自分を見つけたんだっていうこの再会のロマンスっていうものをハートマンさんは否定して、いやそうじゃないんだ、ガーナに行っても、自分は見つからないんだっていうようなことを書いたり、その悲劇的なモードを一つの書く際のモードとして受け入れている、引き取っている人だと思うんですけど。そうすると、必然的に文章はすごく重くなるし、読んでてつらくなってくるんだけども、でもハートマンさんなんかが言うのは、これは決して絶望しているわけではないんだっていうふうに言うんですよね。あのデュボイスの “a hope, not hopeless, but unhopeful.”  僕の好きな言葉なんですけど。「ある希望、つまり絶望ではないが、しかし期待することのない希望」という言葉を引きながら、ハートマンさんは、自分のこの絶望、ペシミズムっていうのは希望がないことではなくて、黒人のこの状況、この危機、カタストロフを引き起こしたその張本人である組織や国や政府というものに期待することを絶対的に拒否するんだ、と言うんです。その絶望なんだっていうふうに言っていて、それがすごい好きで、そこからアナキズムとかそういう伝統に繋がっていくんだけれども、ハートマンさんのその徹底した態度っていうのが、僕はすごい好きだなあと、惹かれるところが今一番ありますね。

ハーン小路 そうですね。アフロペシミズムっていうのかな、それが基本ですよね。簡単に希望を持つというのでもないし。すごい今しっくりきました。正統に何かを求めるのとは別のところで悲劇を語っていくっていうのは、他の作家なんかを見ていても、ウォードなんかもそうだなあと思うし、いろんな人に通じ得ることだと思いますよね。

榎本 そうなんです。その流れで言うと、この『アメリカン・クライシス』が提示しようとしている希望みたいなものっていうのもそれと近いのかなと思ったりしたんですけれども、どうなんですかね。

ハーン小路 そうなんですよね。単純に何かこう、良かったね、ハッピーみたいなふうにはちょっとなれないところがあって、ビヨンセの『レモネード』も結局はそうなんだと思うし、いかに死んでいく人に同化できるかみたいなところで、「フォーメーション」っていう有名な曲の中で、ビヨンセが水に浸っているパトカーと最後一緒に沈んじゃうっていう。それも、死んじゃった人と共にあることへの意思表明かなっていうふうに私は受け取ってて、だから生きててハッピーであればいいっていうメッセージとは全然違うものをこの時期[2016年]にビヨンセが出してきたっていうのは、ブラック・ライヴズ・マターの流れを考えてもすごい重要だったなっていうふうに今思ってますね。

 

母の愛みたいなものから疎外された人たちにもう一回愛を語りかけるみたいな意味合いってすごく強かった

 

榎本 あのシーン見ていて思い出したのは、またハートマンさんの話になってしまって恐縮ですけども、『母を失うこと:大西洋奴隷航路をたどる旅』の中の一つの章で、彼女はある奴隷船で起こった出来事を書こうとするんですね。それは奴隷だった少女が、奴隷船上で船長に殺されるという事件で、でも記録として残っているのはある少女殺害の疑いみたいな、裁判記録の言葉だけで、じゃあどうやってそういうアーカイブの不在の中で、この少女について書けるだろうかみたいなことを、ハートマンさんが書いている章なんですけど。その少女は何をしたかというと、奴隷として奴隷船に乗せられて、自分の自由というものがほとんどもう何もないという状況になった時に、じゃあ彼女にできたこと、残された行為っていうのは何なのかっていうところで、彼女は食べることを拒否するんですよね、食事をもう一切とらないっていうふうにして、そのまま奴隷船の上で本当に鞭打たれたり、マストに吊るされたり、船長に酷い暴行を受ける中で絶対に食べないっていうことだけをして、そのままその奴隷船の上で亡くなっていくっていう事件があって、ハートマンさんはその食べることを拒否したこの行為に、ある種の希望ではないけど、重要性を見出していて。黒人、奴隷の、エージェンシーの話ですよね、エージェンシーがほとんど奪われる中で、自分が発揮できる最後のエージェンシーのスペースが何だったのかっていうところで食べることを拒否することだったんだと書いてると思うんですけども、そのシーンをあのビヨンセの、最後に車の上で亡くなっていくところを見て思いました。

ハーン小路 その話、私も読んでてすごい強烈だったエピソードなんです。私が思い出したのは、ポール・ギルロイの『ブラック・アトランティック』で、フレデリック・ダグラスにギルロイがすごく惹かれているのは、ダグラスが自伝の中で、奴隷であるぐらいだったら死を選ぶというふうに宣言する場面がある。それがギルロイにとってはものすごい重要なことで、そこに人間が生きているってことはただただ生存してるのとは違うことだと、自由でないのならば生きている意味はないっていう、ある意味、モダン・セルフの萌芽みたいなものを、奴隷の中に見てとったっていうのはとても大事なことで、それをハートマンが、年端もいかない少女が、あ、もう死んでもいい、食べないという選択をするっていうのに見てとったことって、とてもパラレルになっている気がして。ある意味それを女性の視点からやる、しかも記録は何もない、自分で語ることができない人についてそれを書くっていうのがすごいなって思ったんですよ。それが、死んでいる人のそばに立つことじゃないのかなあっていうのは、ビヨンセの『レモネード』についてもすごく思うし、埋葬というか、弔うというところに繋がっていくんじゃないかなっていうふうに思います。

榎本 色んなお話できて良かったです。話題があっちこっちに行っちゃってすみません(笑)

ハーン小路 お互いがインスピレーションで(笑) 母の話と死者の話って私の中ではとっても重要な問題だし、ちょうど今週授業でブラック・ライヴズ・マターのことをちょっと教えたので、ビヨンセの『レモネード』も含めていろいろ振り返ってたんですけど。あっそうだ、『現代思想』2020年10月臨時増刊号のブラック・ライヴズ・マター特集で新田啓子さんという黒人文学の研究者の方が書いていたことなんですけど、ジョージ・フロイドが死ぬ間際に何て言ったかというと、ママって呼んでいたって言うんですよね。それを新田さんはすごく重視して、それを起点にしていかに黒人たちが母との繋がりから疎外されてきたかっていうのをもう一回語りかけるような運動としてブラック・ライヴズ・マターを再定義するみたいな感じで書かれてるんです。それ私、そうだなあってすごく納得して。ブラック・ライヴズ・マターも、死者に問いかけていく、それこそ、ジョージ・フロイドのお母さん自体がその時点で生きていなかったんですよね。死んだお母さんに向かってママと呼びかけながら死んでいったんですけど、彼も。そういう声を拾っているのがブラック・ライヴズ・マターの運動家の人たちなんじゃないかなあっていうふうにすごく思ったし、それこそ#SayHerNameっていうハッシュタグがあって、女性も死んでるのだと、その警察暴力を含む暴力の犠牲者の名前をどんどんハッシュタグであげていくっていうサブ運動みたいなのがあったんですよね、それを始めた人たちについても思うし。あとは、ブラック・ライヴズ・マターを始めた人って、やっぱり、女性たちだったんですよ。最初にFacebookでアリシア・ガーザっていう人がブラック・ライヴズ・マターって言った時の語りというのは、あなた方を愛しています、と。愛をすごく強調するもので、そういう母の愛みたいなものから疎外された人たちに対してもう一回愛を語りかけるみたいな意味合いってすごく強かったなって思ってて、そう思いながらビヨンセのビデオを見直したんですよね。その時目に飛び込んできたのって、2012年と2014年に亡くなった男性たち、トレイヴォン・マーティンとマイケル・ブラウンとエリック・ガーナーという三人の男性たちの母親がバーンって三人出てきてたんですよね。彼女たちが息子たちの遺影を持って正面を向いて写ってるショットを見た時に、ああ母だって感じて、そこでいろんなものが繋がったような感じがあったんです。今回ハートマンさんの本を読ませていただいたこともそうだし、母の喪失であったり、死者の埋葬であったり、私たちが共通して考えているモチーフってことのほか多くて、今日本当にお話しててもいろんなものがぼんぼん繋がっていく感じがあって、とっても面白かったです。これをきっかけに共演できたので、これからもよろしくお願いします。私たち二人を繋いでくれた押野素子さんにもとっても感謝しています。

 

▼ハーン小路恭子 著『アメリカン・クライシス──危機の時代の物語のかたち』の詳細はこちらからご覧下さい。ご注文も頂けます:

『アメリカン・クライシス:危機の時代の物語のかたち』詳細ページ

▼本書の序章もこちらからお読み頂けます:

『アメリカン・クライシス:危機の時代の物語のかたち』序章公開

 

ハーン小路恭子(はーんしょうじ・きょうこ)

1975年、石川県生まれ。専修大学国際コミュニケーション学部教授。専門分野は20世紀以降のアメリカ文学・文化で、小説やポップカルチャーにおける危機意識と情動のはたらきに関心を持つ。著書に『アメリカン・クライシス──危機の時代の物語のかたち』(松柏社)、翻訳書にレベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』『わたしたちが沈黙させられるいくつかの問い』(以上、左右社)、レベッカ・ソルニット『オーウェルの薔薇』(共訳、岩波書店)、『マッカラーズ短篇集』(編訳、ちくま文庫)。

 

榎本空(えのもと・そら) 

1988年、滋賀県生まれ。沖縄県伊江島で育つ。同志社大学神学部修士課程修了。台湾・長栄大学留学中、C・S・ソンに師事。米・ユニオン神学校S. T. M 修了。現在、ノースカロライナ大学チャペルヒル校人類学専攻博士課程に在籍し、伊江島の土地闘争とその記憶について研究している。著書に『それで君の声はどこにあるんだ?』(岩波書店)、翻訳書にジェイムズ・H・コーン『誰にも言わないと言ったけれど──黒人神学と私』(新教出版社)、がサイディヤ・ハートマン『母を失うこと──大西洋奴隷航路をたどる旅』(晶文社)。