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2021.9.19アプトン・シンクレア『ジャングル』大井浩二訳 第一章公開

アプトン・シンクレア『ジャングル』大井浩二訳 第一章公開

すべての労働者に捧げる

 

第一章

 結婚式が終わって、馬車が到着しはじめたのは四時だった。マリヤ・ベルチンスカスが派手に騒ぎ立てるせいで、たくさんの野次馬がぞろぞろとついてきた。このたびの慶事はマリヤの幅広い肩に重くのしかかっていた——万事が故国の最良の伝統に従って、型どおりに行われるように仕切る大役を仰せつかっていたからだ。あちらこちらを狂ったように飛び回ったり、邪魔者は相手かまわず追っ払ったり、朝からずっとばかでかい声で怒鳴り散らしたりして、他人に礼儀作法を守らせるのに熱心なあまり、マリヤ自身は礼儀作法をおろそかにしていた。教会を出たのは誰よりも遅かったのに、誰よりも早く宴会場に着こうとした彼女は、もっとスピードを上げるように御者に言いつけた。御者が自分の考えをかたくなに押し通そうとすると、マリヤは馬車の窓を乱暴に開けて身を乗り出し、まずは相手にわからないリトアニア語で、つぎには相手にもわかるポーランド語で、悪口雑言を浴びせかけはじめた。一段高い御者席に座っている当の相手は、彼女を尻目に断固として譲らないばかりか、売り言葉に買い言葉を返そうとさえした。その結果は両者の口汚いののしり合いとなり、これがアッシュランド・アベニューでもずっとつづいたために、半マイルもの間の路地という路地で、悪童たちの新しい群れが馬車の供まわりどもに合流することになってしまった。

 これはまずい事態だった。すでに宴会場の入り口には、黒山の人だかりができていたからだ。音楽も始まっていた。半ブロック手前からでも、チェロのブーンブーンという低音や、精妙な高音を発する弓の動きを競い合うようにして、二挺のバイオリンが奏でるキーキーいう音が聞こえていた。その人だかりを見たマリヤは、御者の先祖たちを罵倒するのを大慌てで切り上げて、まだ走っている馬車から飛び降りると、人込みに身を躍らせて、宴会場へ突進した。そして、会場内に入ると、今度は回れ右をして、人込みを反対方向に押しもどしながら、「どいた! どいた! ドアを閉めろ!」とリトアニア語でがなり立てた。オーケストラのやかましい音でさえも妖精の音楽に聞こえるような口調だった。

「Z・グライチューナス経営。歓楽の花園。ワイン。火酒。組合本部」——これが入り口の看板に書かれたリトアニア語の意味だった。遠く離れたリトアニアのお国言葉など耳にしたこともない読者は、この宴会場がシカゴの「ストックヤードの裏手」と呼ばれる地区の、とある酒場の奥まった一室である、という説明に満足することだろう。この情報はたしかに正確で、事実に合致している。だが、それが神の造りたもうた優美この上ないひとりの女性の人生における至福と恍惚の時間、可憐なオーナ・ルコシャイテの悦ばしい変身を披露する祝宴の場所でもあることを知っている者には、嘆かわしいほどに不十分な説明に思われたにちがいない!

 彼女はいとこのマリヤに付き添われて、入り口に立っていた。人込みを押し分けてきたので息を弾ませ、見る者の胸を打つような幸福感に包まれていた。目には感激の光があふれ、瞼は打ちふるえ、いつもの蒼白い小さな顔は紅潮していた。際立って白いモスリンのドレスをまとい、ごわごわしたベールが肩まで垂れていた。そのベールに飾りつけた五個の淡紅色のバラの造花と、十一個の鮮やかなバラの緑色の葉。手にはめた真新しい木綿の白い手袋。その手を彼女はあたりを見回しながら、熱に浮かされたようにねじっていた。その場の空気は彼女には耐えられないほどだった——彼女の顔に浮かんだ極度の感激による苦痛と、全身の激しいふるえを見て取ることができた。彼女はとても若かった——十六歳にもなっていなかった。それに年齢のわりには小柄で、まだほんの子どもだった。その彼女が結婚式を挙げたばかりというのだ。しかも、その相手がユルギス、よりによってユルギス・ルドクスだったとは——新調の黒い背広のボタンホールに白い飾り花を挿した男、逞しい肩と巨人のような手をした男だったとは。

 青い目をした金髪のオーナと、黒い目と突き出した眉毛と耳のあたりでウエーブしている濃い黒髪のユルギス。要するに、ふたりはあらゆる預言者たちを困惑させるために、母なる自然がしばしばお決めになる不釣り合いで、想定不可能な組み合わせのカップル、空前絶後のカップルだった。ユルギスは二百五十ポンドもある牛肉の四半身をよろめきもせず、無造作に持ち上げて、貨車に積みこむことができた。その男がいま、追い詰められて怯えている動物のように、会場のはるか片隅で立ちすくみ、友人の祝辞に答えようとするたびごとに舌で唇を湿さなければならなかった。

 しだいに見物人と招待客との色分けがはっきりしてきた——せいぜいで順調に事を運ぶに十分な程度の色分けだったとしても。やがて始まった祝宴の間じゅう、会場の入り口や片隅にたむろする見物人の姿が見えないときはなかった。この見物人の誰かがすぐそばまで近づいて、腹を空かした様子を見せたりすると、いすが用意され、ご馳走が振る舞われた。ひとりとしてひもじい人間がいてはならない、というのが結婚披露宴の約束のひとつだった。リトアニアの森で生まれたしきたりを、人口二十五万のシカゴのストックヤード地区に持ち込もうというのは、どだい無理な話だが、精一杯がんばったので、通りから駆けこんできた子どもたち、いや、野良イヌたちまでもが、いい気分になって会場から出ていった。魅力たっぷりの無礼講というのが、この祝宴の特徴のひとつだった。男たちは帽子をかぶっていてもいいし、気が向けば帽子だけでなく、上着を脱いでもよかった。好きなときに好きな場所で食べ、好きなだけ動き回った。スピーチや歌も予定されていたが、聞きたくない者は聞かなくてもよかった。逆にスピーチをしたり歌ったりしたい者がいれば、まったく自由にそうすることができた。そのために沸き上がる雑多な騒音を気にする者など、誰ひとりとしていなかったが、もしかしたら赤ん坊だけは別だったかもしれない。会場には招待客のすべてが授かっている赤ん坊たちの総数に匹敵する数の赤ん坊がいたのだから。その赤ん坊のための場所などほかにはなかったので、会場の片隅にベビーベッドや乳母車を集める準備が、この夜のパーティには欠かせなかった。赤ん坊たちはそこで三人か四人でいっしょに眠ったり、いっしょに目を覚ましたり、いろいろしていた。料理のテーブルに手が届くほどの年長組は、肉のついた骨やボローニャソーセージを満足げにかじりながら、歩き回っていた。

 会場は三十フィート四方くらいの広さで、白塗りの壁にはカレンダーと競走馬の写真と金ピカの額縁に入った家系図がかかっているだけ。右手には酒場からのドアがあって、戸口には浮浪者が三、四人たむろしている。そのむこうの隅には、薄汚れた白いシャツ、ワックスで固めた黒い口髭、丁寧に油を塗ったカールが額の片側にはりついたバーテンが守護神よろしく控えているカウンター。その反対側の隅には、会場の三分の一を占めるテーブルがふたつ。その上には取り皿と冷たい料理が載っていて、腹を空かせた客の何人かはすでにむしゃむしゃやっている。新婦が座っている上席に置かれた純白のウエディングケーキ。エッフェル塔のデコレーションには、砂糖でできたバラの花とふたりの天使、それにピンク色と緑色と黄色のキャンディがふんだんにちりばめられている。そのむこうにはキッチンに通じるドアがあって、湯気がもうもうと立ちこめている料理用レンジと多数の女性が老いも若きも右往左往している姿がかいま見られる。左手の隅では、小さな演壇で三人の楽士たちが周りの騒音に負けてなるものかと必死になって演奏し、赤ん坊たちも同じようにして泣きわめいている。開け放たれた窓際では、野次馬連中が目と耳と鼻を存分に楽しませている。

 突然、台所の湯気の一部が近づいてくる。それを透かし見ると、皆からリトアニア語で叔母エルズビエタと呼ばれている、オーナの義母のエリザベス叔母さんが鴨肉のシチューの大皿を高く掲げた姿が浮かび上がる。その後ろに、同じように重い大皿の下でよろめきながら、用心深く歩を進めているコトリーナがつづく。三十秒遅れて、マヤウシュキエーネ婆さんが本人と大きさが変わらないほどの黄色い大皿に、湯気の立っているジャガイモを盛って現れる。こうして、少しずつ祝宴は形を取りはじめる——ハム、ザウアークラウト、ボイルドライス、マカロニ、ボローニャソーセージ、山盛りの安価なパン、牛乳のボウル、泡立つビールのピッチャー。それに背後の、六フィートも離れていないあたりに酒場のカウンターがあって、飲みたい酒を好きなだけ注文しても、代金を払わなくてもよい。マリヤ・ベルチンスカスは「こちらへおいで! もっと急いで!」とリトアニア語で叫びながら、自分でも食べはじめる——台所のレンジにはまだまだ料理が残っていて、食べないといたんでしまうからだ。

 こうして、哄笑と、叫声と、とめどない軽口や冗談とともに、招待客たちはそれぞれの席に着く。大半が入り口近くにたむろしていた若者たちは、勇気を奮って前に進み出る。小さくなっていたユルギスも、老人連中に突っつかれたり叱られたりして、やっと新婦の右側に座ることに同意する。その後ろに新婦の付き添い役のしるしである紙製の花輪をつけたふたりの若い女性、さらに老若男女の招待客がつづく。謹厳実直そうなバーテンダー氏も、この場の雰囲気に支配されて、鴨肉のシチューの皿に手を伸ばす気になる。太っちょの警官さえも——夜が更けてからのけんかの仲裁をするのが職務の警官さえも、テーブルの末席にいすを引き寄せる。子どもたちは歓声を上げ、赤ん坊は泣きわめき、誰も彼もが笑い、歌い、しゃべる——この耳を聾するばかりの喧噪にも負けない大声で、いとこのマリヤは楽士たちに演奏を命じる。

 楽士たちは——この連中は一体どう形容すればいいのだろうか? これまでもずっと連中はそこにいて、熱狂的に演奏している——この宴会場の場面のすべては、音楽に合わせて読まれ、語られ、歌われなければならない。この場面の現在を現在たらしめているのは、この音楽だ。「ストックヤードの裏手」の奥の酒場の一室を妖精の国に、ワンダーランドに、空中高楼の一隅に変貌させているのは、この音楽なのだ。

 この楽士トリオのリーダー格を務めるのは、小柄ながらもインスピレーションの塊のような男だった。バイオリンはチューニングをしていないし、弓には松脂を塗ってもいないが、それでもインスピレーションの塊にはちがいない——詩神たちが手を触れた男とでも言おうか。悪鬼に、それも悪鬼の大群に取り憑かれたかのように演奏する彼。その周りの空中で、悪鬼どもが踊り狂っているのが感じられる。悪鬼どもは目に見えない足で拍子を取り、それに調子を合わせようとして、バンドマスターの頭髪は逆立ち、目玉は眼窩から飛び出さんばかりなのだ。

 この男の名はタモシュウス・クシュレイカ。昼間はずっと屠畜場で働いてから、夜通し練習を重ねて、バイオリンを独修したのだった。上着を脱いだ彼は、色あせた金色の蹄鉄の模様がついたチョッキとペパーミントキャンディを思わせるピンク色のストライプのシャツだけになっている。黄色いストライプの入ったライトブルーの軍隊用のズボンは、バンドマスターにふさわしい威厳を暗示するのに役立っている。身長はわずか五フィートだが、それでもズボンの裾はフロアから八インチばかりも上にある。そんなズボンを一体どこで手に入れたのか、と不思議に思う者もいるだろう——彼の姿を目の当たりにして興奮しきっている人間に、そんなことを考える余裕があれば、の話だけれども。    

 それというのも彼がインスピレーションの塊のような男だからだ。全身が隈なくインスピレーションを受けている——体のひとつひとつの部位が、個別的にインスピレーションを受けていると言ってもいい。足を踏み鳴らす、頭を振る、体を前後左右に揺さぶる。顔はしわくちゃで、思わず吹き出してしまいそうなほどに滑稽だ。ターンだのフラーリシュだのといった装飾音を奏でるときは、眉をしかめ、唇をもぐもぐさせ、目をしばたたく——ネクタイの先端までもが逆立っている。ときたま仲間のほうに向き直って、うなずいて見せたり、合図を送ったり、熱烈に手招きしたりする——詩神たちの呼び声に応えて、全身全霊で哀訴や嘆願をしているとでもいうように。

 それというのも彼らが、バンドのほかのふたりのメンバーが、タモシュウスにはるかに及ばない連中だからだ。第二バイオリンは黒縁の眼鏡をかけた背の高い、痩せこけたスロヴァキア人で、黙りこくった、辛抱強そうな表情は、酷使されたラバを思わせる。鞭を加えられても、わずかな反応を示すだけで、またぞろもとの轍にもどってしまうラバだ。第三の楽士はすごい太っちょで、丸くて赤くて涙もろいような鼻をしていて、目を空に向けたまま、無限の憧れのこもった表情で演奏する。彼はチェロで低音部を受け持っているだけで、この場の興奮などは何の意味も持たない。彼の仕事といえば、高音部で何が起ころうともお構いなしに、午後の四時から翌朝のほぼ同じ時刻まで、時給一ドルの総収入の三分の一の取り分のために、間延びした、物悲しげな音をノコギリでもひくようにかき立てることなのだ。

 祝宴が始まってから五分も経たないうちに、タモシュウス・クシュレイカは興奮しきって立ち上がっている。一分か二分もすれば、並んだテーブルのほうににじり寄っていく姿が見られることだろう。鼻孔は大きく広がり、息遣いも荒い——悪鬼どもに追い立てられているのだ。仲間のふたりに向かって首を前後左右に振り、バイオリンをぐいと突きつけるので、長身の第二バイオリンの男までもが立ち上がる。やがて三人全員が一歩また一歩と宴会客のほうに近づきはじめ、チェロ弾きのヴァレンチナヴィーシャなどは、音符と音符の合間に楽器を抱えてドタドタと移動する始末。挙句の果てには、三人がテーブルの下座に寄り添い、そこでタモシュウスは踏み台の上によじ登る。

 こうして、一座の注目を集めた彼は、いまや得意の絶頂だ。客のなかには食べるのに忙しい者もいれば、談笑している者もいる——だが、彼の演奏に耳を傾けていない者がいると思ったりすれば、とんでもない大まちがいだ。たしかに彼の音階は狂っていて、バイオリンは低音部では熊蜂のようにブンブンうなり、高音部ではキーキーと引っかくような音を出す。だが、そんな音を気にする者は誰もいない。周りの塵埃や騒音やむさ苦しさを気にする者が誰もいないのと同じように——この音楽という素材から、出席者一同は自分たちの生活を築き上げ、自分たちの魂を表現しなければならない。これは彼らの表現手段なのだ。陽気で騒々しく、悲しげに泣きわめき、情熱的で荒れ狂うような音楽。これが彼らの音楽、故郷の音楽なのだ。この音楽が彼らのほうに腕を差し伸ばし、彼らはそれに身を委ねさえすればいい。シカゴも酒場もスラムも消え失せる——そこにあるのはただ緑の牧場と陽光の輝く川、広やかな森と雪を頂く山だけだ。眼前に故郷の風景や子ども時代の場面がよみがえる。遠い昔の恋愛や友情が目覚め、遠い昔の喜びや悲しみが笑ったり泣いたりしはじめる。身をふと後ろに引いて目を閉じる者、テーブルを叩く者。ときたま誰かが大声を上げて跳び上がり、あの歌をやれ、この歌をやれと言い出す。やがてタモシュウスが目をらんらんと輝かせ、バイオリンを振りかざして、ふたりの仲間を怒鳴りつけ、三人揃って死に物狂いに弾きまくる。曲の合唱部では全員が歌声を上げ、男も女もものに憑かれたように絶叫する。パッと跳び上がって、床を踏み鳴らし、グラスを高く掲げて乾杯をし合う者もいる。やがて誰かが、新婦の美しさと愛の喜びを讃える古い婚礼の祝歌を注文することを思いつく。このすばらしい祝歌に興奮しきったタモシュウス・クシュレイカは、テーブルとテーブルの間に身を割りこませ、新婦が座っている上席のほうへと近づく。招待客のいすの間隔は一フィートもないので、背の低いタモシュウスが低音を弾くために手を伸ばすと、そのたびに弓で客をこづくことになるが、それでも彼は強引に押し進み、仲間のふたりにも後につづけと頑固に言い張る。彼らが移動している間、チェロの音がほとんどかき消されていることは言うまでもない。三人はやっとテーブルの上座にたどり着き、新婦の右手に陣取ったタモシュウスは、甘やかな調べのなかに情感を吐露しはじめる。 

 可憐なオーナは興奮のあまり食べ物に手をつけることもできない。ときたま、いとこのマリヤにひじをつねられて、何かをちょっと口に入れることを思い出すが、たいていは感激に目を見開いたまま不安げに座っている。テータ・エルズビエタは蜂鳥のように落ち着かない様子だ。その妹たちも、小声でささやき交わしながら、姉の後ろを息せき切って追いかけている。だが、オーナにはそれさえも聞こえていないらしい——音楽がずっと彼女に語りかけ、遠くを見るような表情がもどってきて、両手を胸のあたりに押し当てて座っている。やがて目に涙がにじみはじめる。それを拭い去るのも恥ずかしく、頬を伝うがままにしておくのも恥ずかしいので、顔をそむけて、少し首を振るが、ユルギスに見られているのに気づいて、顔が赤くなる。いよいよタモシュウス・クシュレイカが隣までやってきて、頭の上あたりで魔法の杖を振りはじめるころになると、オーナの両頬は深紅色に染まり、立ち上がって逃げ出しかねないような表情になる。

 しかし、この気まずい状況から、詩神たちの突然の訪れを受けたマリヤ・ベルチンスカスが彼女を救い出してくれる。マリヤは歌が、それも恋人たちの別離の歌が大好きだ。それが聞きたくてたまらないが、バンドの連中が知らないので、自分から立ち上がって、それを教えようとする。マリヤは背が低いが、骨格はがっちりしている。缶詰工場で働いていて、朝から晩まで十四ポンドもある牛肉の缶詰を扱っている。スラヴ風の幅広の顔に、骨のとがった赤い両頬。口を開けた姿は悲劇的で、馬を連想せずにはいられない。青いフランネルのシャツブラウスを着ているが、袖をたくし上げているので、筋金入りの腕はむき出しだ。片手に切り盛り用の大ナイフを握り、それでテーブルを叩いて拍子を取っている。会場のどこにも届かない箇所がない、と言えば十分と思われる大声を張り上げて、得意の歌を吠えるように熱唱する彼女。三人の楽士たちは音符をひとつずつ拾うようにして、必死に伴奏するのだが、平均一音符は遅れてしまっている。こうして彼らは恋に身を焦がす若者の嘆きを語るリトアニア語のフォークソングを延々と弾きつづける。

 

   さらば、きみ、小さき花よ、愛しき者よ。

   さらば、きみ、さきくあれ。悲しき我よ、

   大いなる神意のままに

   独り浮世で悩む定めに!

 

 この歌が終わると、スピーチの時間になり、叔父アンタナスが立ち上がる。この英語でアントニー爺さんと呼ばれるユルギスの父親は、六十歳を過ぎてはいないが、八十歳と思う人もいるだろう。アメリカにきてから、わずか半年だが、移住は健康によくなかったと見える。男盛りのころは紡績工場で働いていたが、咳が出るようになったために退職を余儀なくされた。リトアニアの田舎で暮らしているうちに、その症状は消えたが、ダラム社の漬物工場で、冷たい湿った空気を一日中吸うようになってから、ぶり返してしまった。スピーチのために立ち上がった途端に、咳の発作に襲われ、いすでやっと身を支えながら、咳がおさまるまで、生活に疲れて蒼ざめた顔をそむけている。

 結婚披露宴のスピーチは物の本から借りてきて、暗記するものと相場が決まっている。だが、若いころのデーデ・アンタナスはいっぱしの学者気取りで、友人たちのラブレターなどは全部代筆してやったこともあった。今回もまた、彼が借り物でない慶賀と祝福のスピーチを用意していることが周囲に知れ渡っていて、これが本日のメインイベントのひとつになっている。会場を跳ね回っていた男の子たちさえも、近寄ってきて耳を澄まし、女性たちのなかには鼻をぐずつかせて、エプロンを目に当てる者もいる。それが実に重苦しいスピーチになったのは、自分の子どもたちと暮らすのも、そう長くはあるまい、という思いにアンタナス・ルドクスが取り憑かれているからだ。このスピーチのせいで、一座が湿っぽくなったのを見て、出席者のひとりで、ヨクバス・シェドヴィラスという、ハルステッド通りでデリカテッセンを経営している太った陽気な男が、思い余って立ち上がり、アントニー爺さんが思いこんでいるほど悲観的な事態ではあるまい、と述べたついでに、結婚おめでとう、いつまでもお幸せに、という言葉を新郎新婦に浴びせかけるスピーチを自分でもやってのけ、さらに彼が微に入り細にわたって説明しはじめた話題は、若い者たちには大受けするが、オーナはこれまで以上にひどく赤面することになってしまう。ヨクバスは彼の妻がいかにも自慢げに「詩的想像力」と名づける代物を身につけているのだ。                    

 招待客の大半のスピーチが終わると、儀式張ったところがなくなり、祝宴の座も乱れはじめる。男たちのなかには酒場に集う者もいれば、笑ったり歌ったりしながら歩き回る者もいる。ここかしこに小さなグループができて、他人のこともバンドのことも一向にお構いなしに、陽気に歌っている。誰も彼もなんとなく落ち着きがない——何か気にかかることがあるように見える。そして、それが見当違いでないことがやがて判明する。最後までぐずぐず食事をしていた連中が食べ終わる間もなく、テーブルと食べ残りの料理は会場の片隅へ運び去られる。いすや赤ん坊も邪魔にならないところに追いやられると、いよいよ今宵の祝賀パーティの本番の幕開きだ。やがて元気づけにジョッキ一杯のビールを引っかけたタモシュウス・クシュレイカが演壇にもどってくる。すっくと立ち上がって、会場を見渡す。バイオリンの横腹を厳しい表情で叩く。バイオリンを顎の下に注意深くあてがう。弓をゆっくりと派手なジェスチャーで振り回す。最後に絃を激しくかき鳴らして、両目を閉じると、彼の魂は夢見るようなワルツの翼に乗って浮遊する。第二バイオリンも後につづくが、弾き手は自分の足元を見守るとでもいうように、両目をしっかり開けている。最後に、チェロ弾きのヴァレンチナヴィーシャも一瞬、間を置いてから、足でリズムを取りながら、目を天井に向けたまま、ブーン! ブーン! ブーン! とノコギリをひきはじめる。

 出席者たちは早速ペアを組み、やがて会場全体が動きはじめる。ワルツの踊り方など誰も知らないらしいが、そんなことはどうでもいいことだ——そこに音楽があれば、それぞれが好きなように踊る、さっき歌っていたときと同じように。大半の出席者のお好みは「ツーステップ」で、とくに若者に好まれるのは、今それがはやっているからだ。年長者たちには故国から持ってきたダンスがあって、複雑怪奇なステップを真面目くさった表情で踏んでいる。なかには全然踊らないで、互いの手を握ったまま、不慣れな運動の喜びを足で表現しているだけという連中もいる。デリカテッセンを夫婦で経営しているヨクバス・シェドヴィラスと妻のルツィヤも、この部類に属するが、店で売る食料品とほとんど同じくらいの量を食べつくすふたりは、太りすぎていて踊れないため、フロアの真ん中で棒立ちになったまま、しっかりと抱き合い、ゆっくりと体を左右に揺すりながら、天使のようににっこりと微笑んでいる。歯の抜けた人間が汗をかきながら恍惚感に浸っている図そのものだった。

  この年長者たちの多くは、どこかの部分で故郷を思い出させるような衣服を身に着けている——刺繍飾りのついたチョッキとか胴衣、派手な色合いのハンカチ、大きなカフスや飾りボタンのついた上着など。この種の衣装はすべて若者たちによって敬遠されているが、その若者たちのほとんどは、英語を話したり、流行の服を着たりするようになっている。若い女性たちは、レディーメイドのドレスやブラウスを身に着けていて、お世辞抜きにきれいな者もいないではない。若い男性のなかには、屋内で帽子をかぶっているという点を除けば、会社員タイプのアメリカ人と見まがうような者もいる。そうした若いカップルはそれぞれが自己流の踊り方をしている。しっかり抱き合っている者、しかるべき距離を置いている者。両腕をぎごちなく突き出している者、脇にだらりと垂らしている者。軽快に踊る者、そっと滑るように踊る者、ニコリともせずに硬い表情で足を運ぶ者。邪魔者は相手かまわず跳ね飛ばすようにして、所狭しとばかりに踊り狂う騒々しいカップル。このカップルに圧倒されて、すれ違いざまに「もうよせ! どういうつもりなんだ?」とリトアニア語で叫んでいる弱気なカップル。どのカップルも一晩中ペアを組んだままだ——相手を代える様子は一向に見られない。たとえばアレナ・ヤサイティーテは婚約者のユオザス・ラシュウスと何時間も果てしなく踊りつづけている。アレナは今宵の最高の美女だが、高慢でなければ文句なしの美女と呼べるだろう。缶詰の缶にペンキを塗る仕事で稼いだ週給の半分に相当する値段と思われる白いブラウスを着た彼女。貴婦人の物腰をまねて、堂々とした正確なステップで踊りながら、片手でスカートをつまんでいる。ダラム社の御者の仕事で、高給を稼いでいる相手のユオザス。帽子を斜めにかぶり、一晩中煙草を口にくわえて、やくざを気取っている。それにヤドヴィーガ・マリツィンクスもいる。こちらも美人だが、身なりはみすぼらしい。ヤドヴィーガも缶にペンキを塗る仕事をしているが、病身な母親を抱え、三人の妹たちを養わねばならないので、ブラウス代に使えるような給料はない。小柄で、ほっそりとしたヤドヴィーガ。目と髪は漆黒で、髪は小さくまとめて、頭の上で結んでいる。古ぼけた白いドレスを着ているが、これはお手製で、この五年間というもの、ずっとパーティに着ていっている代物だ。ハイウエストのドレスで——ウエストラインが腋の下あたりにあって、あまり似合ってはいないが、恋人のミコラスと踊っているヤドヴィーガには、そんなことはちっとも気にならない。小柄な彼女とは対照的に、大柄で、逞しいミコラス。体をすっぽり隠すようにして、彼の腕のなかで寄り添い、肩に顔を埋めている彼女。その彼女を運び去るかのようにして、両腕をしっかり彼女に巻きつけている彼。こうして、無上の喜びにうっとりとなって踊っている彼女は、一晩中、いや、永久に踊りつづけることだろう。このふたりの姿を見て、あるいは読者は微笑を浮かべるかもしれない——だが、事の次第がわかってしまうと、微笑してばかりもいられまい。ヤドヴィーガがミコラスと婚約して、今年で五年目。彼女の心は暗い。ふたりはいきなり結婚することもできたのだが、ミコラスの父親は朝から晩まで飲んだくれていて、子だくさんの一家に男手と言えば、父親以外は彼しかいない。それでもふたりを意気消沈させかねない残酷な事故さえ起こらなかったならば、ふたりは何とか結婚に漕ぎつけることができたかもしれない(ミコラスは熟練工なのだから)。彼ミコラスは牛肉の骨切りを担当する「ビーフボーナー」だが、出来高払いの上に、嫁取りを目指しているとなると、この仕事はとりわけ危険だ。両手はぬるぬる、包丁もぬるぬる。大車輪で働いているときに、誰かが声をかけてきたり、骨に打ちつけたりすると、つい手が滑って、包丁の刃に当たり、傷口がぱっくり開く。それは、ひどい感染症にかかりさえしなければ、大事には至らない。だが、傷口は癒えても、その後どうなるか、わかったものではない。過去三年間に二回、ミコラスは敗血症にかかって自宅で寝こんでしまったことがある——最初は三カ月、二回目は七カ月近くも。二回目のときに彼は失業してしまったが、それは雪が一フィートも降り積もり、空からまだ降りつづけている、刺すように寒い冬の朝の六時から、屠畜場の入り口で六週間以上も立ちんぼをすることを意味している。「ビーフボーナー」は時給四十セントも稼いでいるなどと、統計の数字を示しながら説明なさる学者先生もおられるが、「ビーフボーナー」の手をご覧になったことなど一度もあるまい。

 タモシュウスのバンドがときどき、必要に迫られて休憩を取るようなことがあると、ダンスをしている連中は、その場で立ちつくしたまま、辛抱強く待っている。どうやら疲れを知らないらしい様子だが、かりに疲れを覚えていても、腰を下ろせる場所はどこにもない。いずれにしても、休憩は一分間程度で、バンドマスターは、メンバーふたりの不平不満を一切無視して、演奏を再開する。今度は前と違ったダンス曲、リトアニアのダンス曲だ。ツーステップで踊りつづけたい者はそうするが、たいていの者はダンスというよりもむしろ曲技スケートにも似た一連の複雑な動作を繰り広げる。クライマックスは目くるめくばかりのプレスティッシモで、手を取り合ったカップルが狂ったように旋回しはじめる。こうなるとじっとしていられない。全員が踊りの輪に加わって、会場は跳ね踊るスカートと肉体が交錯する渦巻きとなり、見ているだけでめまいを起こしそうだ。だが、この瞬間の最大の圧巻は、タモシュウス・クシュレイカその人だ。古ぼけたバイオリンは嫌がってキーキーと悲鳴を上げるが、タモシュウスは容赦しない。額に汗を浮かべて、ラストストレッチに差しかかった自転車競技の選手みたいに、前に身を乗り出している。体は暴走する蒸気機関車のように激しく躍動し、雨あられと飛び交う音符に耳は追いつくことができない——弓を使う右腕の動きを見ようと目を凝らしても、青白い霧にしか見えない。すばらしい勢いで曲を弾き終えると、彼は両手を高く投げ上げ、疲れ果てて後ろによろめく。踊っていた連中はわっと最後の歓声を上げて相手から離れ、そこここでよたよたしている者もいるが、なんとか会場の壁際までたどり着く。 

 この後で、一同にビールが振る舞われる。楽士たちも例外ではない。宴会の出席者たちは、今夜の最大のイベントであるアチアヴィマスに備えて、一息入れる。アチアヴィマスとは、始まったら最後、三時間から四時間は終わらないセレモニーで、間断なくつづくダンスがつきものだ。出席者たちは手をつないで大きな輪になり、音楽が始まると、ぐるぐると円を描いて動きはじめる。中央には新婦が立っていて、輪から抜け出した男性軍はひとりずつ新婦を相手に踊る。それぞれが数分程度踊るのだが、好きなだけ踊ることもできる。このやり取りは笑いあり、歌ありで、実に陽気だ。男たちは踊り終えると、帽子を手にしたテータ・エルズビエタと向き合う格好になる。その帽子のなかに、なにがしかの金を落とし入れる——当人の懐具合や、新婦と踊るという特権に対する評価次第で、一ドルのこともあり、場合によっては五ドルのこともある。出席者たちは今夜の披露宴の費用を負担することを期待されている。気の利いた出席者なら、新郎新婦が新生活のスタートを切るための金が相当残るように配慮するのだ。

 この披露宴の費用ときたら、考えるだけでも恐ろしい。優に二百ドルは超すだろうし、もしかしたら三百ドルになるかもしれない。三百ドルといえば、会場にいる多くの連中の年収をはるかに超えている。ここにいる屈強の男たちが、床が四分の一インチも水浸しになった氷のように冷たい地下室で、朝早くから夜遅くまで働いても——年間六カ月から七カ月、日曜の午後から次の日曜の午前まで、お天道様を見ることなしに働いても、一年に三百ドルも稼ぐことはできない。ここにいる十歳になるかならないかの、仕事台の天板もろくに見ることができないほど小さな子どもたち——親が年齢をごまかしたお陰で、やっと仕事にありつけた子どもたちは、年間三百ドルの半分も、いや、もしかしたら三分の一も稼ぐことができない。そのような大金を人生のたった一日、しかも結婚披露宴で使ってしまうとは!(自分の結婚式でいっぺんに使ってしまうのも、たくさんの友人の結婚式で長い時間をかけて使ってしまうのも、結局は同じことだろうから。)

 何たる無分別、何たる悲劇——だが、ああ、何と美しいことか! ここにいる貧しい者たちは、ほかのすべてを少しずつあきらめてきたが、これには命がけでしがみつく——このヴェセリヤだけはあきらめることができないのだ! ヴェセリヤをあきらめることは、敗北することだけでなく、その敗北を認めることを意味している——この両者の違いなのだ、世の中を動かしているのは。ヴェセリヤは遠い過去から先祖代々伝えられているが、その意味するところは、生涯にたった一度だけでも、鎖を断ち切り、自由の翼を感じ、太陽を拝むことができさえすれば、洞窟のなかでずっと物陰を見つめて暮らすことになってもいいではないか、ということだった。さまざまの苦労や恐怖に満ちた人生も、所詮は大した代物ではなく、川面に浮かぶあぶくか、マジシャンが投げ上げる黄金色のボールのような遊び道具か、ゴブレットに注がれた珍しい赤ワインのように、一気に飲み干すことができるものにすぎない、という事実を、生涯にたった一度だけでも立証することができさえすればいいではないか、ということだった。こうして人生を達観した人間は、つらい労働にもどっていっても、死ぬまでの日々を、その思い出のなかで生きつづけことができるのだ。

 

 踊っている連中はぐるぐると果てしなく回りつづけた——めまいがしはじめると、回る向きを変えた。これが何時間もつづいた——宵闇が迫り、二個のすすけたオイルランプで照らされた会場は薄暗かった。楽士たちはすでに熱狂的なエネルギーを使い果たして、同じ曲を大儀そうに、だらだらと弾いているだけだった。この曲には二十小節ばかりしかなかったので、弾き終わるとまた最初から弾きはじめるのだった。だが、十分間に一回くらいは、弾きはじめることができなくなって、ぐったりとしたまま座りこんでしまう。こうした事態が起こると、きまって痛ましくも恐ろしい光景が繰り広げられ、入り口の後ろでうつらうつらしている太っちょの警官が不安そうに身じろぐのだった。

 すべての原因はマリヤ・ベルチンスカスにあった。マリヤは遠ざかりゆく詩神のスカートに必死になってすがりつく、例の飢えた魂の持ち主だった。彼女は一日中、わくわくするような高揚状態にあったが、それが今、消え去ろうとしている——だが、彼女はそれを手放したくない。彼女の魂は「時間よ、止まれ、汝は美しい!」とファウストもどきの言葉で叫んでいた。ビールであれ、大声であれ、音楽であれ、行動であれ、何の力を借りてでも、この高揚状態を取り逃がすつもりはなかった。そして、彼女は何回となくその状態の追跡に取りかかった——だが、たとえて言えば、彼女の乗った馬車が走りはじめた途端に、この呪われた楽士どもが間抜けなせいで、目指す相手にまかれてしまう。そのたびごとに、怒りで前後を失い、顔を真っ赤にしたマリヤは、わめき声とともに楽士たちにつかみかかり、鼻の先で拳骨を振りかざしたり、床を踏み鳴らしたりした。怯え切ったタモシュウス・クシュレイカがしゃべろうとしても、肉体の限界を訴えようとしても、無駄だった。息を切らせてあえいでいる店主ヨクバスが言って聞かせても無駄。テータ・エルズビエタが哀願しても無駄だった。

「むこうへいってて!」とマリヤはリトアニア語でがなり立てるのだった。「待って! 邪魔しないで! 何のために金をもらっているんだ、この地獄の亡者どもめ!」

 そこで、あまりの恐ろしさに、バンドはまたぞろ演奏を再開し、マリヤはもとの場所にもどって、自分の仕事に取りかかるのだった。

 いまや彼女は祝宴の重荷を一身に背負っていた。オーナは興奮しているせいで、何とか持ちこたえていたが、女性軍全員と男性軍のほとんどは疲れ果てていた——だが、マリヤの魂だけは不死身だった。マリヤは踊っている連中をけしかけた——最初は丸かった踊りの輪が崩れて、今ではヒョウタン型になっていたが、その輪のくびれたあたりで、こちらに引いたり、あちらに押したりしながら、叫んだり、足を踏み鳴らしたり、歌ったりしているマリヤは、エネルギーの活火山さながらだった。ときたま、出たり入ったりする誰かがドアを閉め忘れると、夜風が冷たかった。そこを通りかかったマリヤが片方の足を伸ばして、ノブを蹴りつけると、ドアはバタンと音を立てて閉まるのだった! 一度だけ、このやり方が大惨事を引き起こし、セバスティヨナス・シェドヴィラスがあわれな犠牲者となった。三歳になるセバスティヨナス坊やは、ピンク色の、氷のように冷たくて、おいしい「ポップ」という飲み物のボトルを口の上から逆さに持ったまま、そこらを歩き回っていた。問題の入り口を通り抜けようとしたとき、ドアがいきなりもろにぶつかって、ダンスが中断してしまうほどの大声を上げて泣き出した。マリヤは一日に百回は「ぶっ殺してやる」とわめき立てる癖に、ハエを一匹傷つけても大泣きするような人間だったので、セバスティヨナス坊やをしっかりと抱きしめて、窒息しかねないほどのキスの雨を降らせた。さらにマリヤは痛い目に遭った坊やを酒場のカウンターに座らせ、その隣に陣取ると、泡立つビールのジョッキを坊やの口元にあてがったりして、ご機嫌を取り結んでいたので、バンドの連中は、その間にたっぷり休息を取り、飲み物もたっぷり振る舞われた。

  その間にも、会場の別の一角では、テータ・エルズビエタとデーデ・アンタナスが一家の近しい友人数名と真剣に話し合っていた。厄介な問題が持ち上がったのだ。ヴェセリヤはひとつの約束事、明文化されてはいないが、それだけにかえって強い拘束力を全員に対して持っている約束事だ。出席者各人が負担する金額は違っていた——だが、それぞれに自分が負担すべき金額がいくらであるかは百も承知していたし、それを少しでも上回る金額を出そうとがんばったものだった。ところが、アメリカという新しい国にやってきてから、一切が変わりはじめていた。この国では、人間が吸いこむ空気のなかに、知らないうちに効いてくる毒物が潜んでいるように思われて仕方がなかった——その毒物があっという間に若い世代全員に悪影響を及ぼしていた。この連中は、群れをなしてやってきて、素敵なご馳走を腹一杯詰めこむと、こっそりずらかってしまう。ひとりが仲間の帽子を窓から投げ捨て、それをふたりで拾いに出たまま、どちらもドロンを決めこむ。ときには、五、六人が一団となって、主催者をじろりとにらみつけたり、面と向かってからかったりしながら、堂々と出ていくケースもある。さらに悪質なケースでは、わっと酒場に押しかけ、主催者の振る舞い酒をぐでんぐでんになるまで飲みながら、誰に対しても知らぬ顔を決めこみ、新婦とのダンスにしても、すでに済ませてしまったか、後で済ませるつもりであるかのようなふりをするのだ。

 今回はこのすべてのケースが実行に移されていて、一家の者たちは当惑しきっていた。何と長い間、がんばり、何と莫大な経費をつぎこんだことか! オーナは不安で目を大きく見開いたまま、傍らに立ちつくしていた。あの何枚もの法外な請求書——それはずっと彼女に取り憑き、その一枚一枚が昼は彼女の魂を苛み、夜ともなれば休息を台無しにしてきたのだった。工場に出かける途中、どんなに繰り返しひとつひとつの項目を数え上げ、計算してきたことか! 会場費に十五ドル、家鴨に二十二ドル二十五セント、バンドに十二ドル、教会に五ドル、それに聖母の祝福のための献金、といった具合に際限がなかった。何よりも困ったことに、客が飲んだかもしれないビールその他の酒類に対するグライチューナスの法外な請求書がまだ手元に届いていなかった。アルコール代について、酒場の主人からあらかじめ聞き出せるのは、せいぜいで見積もり額程度にすぎない——だが、やがて支払う段になると、頭をかきかきやってきて、「どうも低く見積もりすぎていましたようで、こちらとしましては随分と勉強させてもらいましたが、何せお客さんがしこたまお飲みになりましたからね」などと言い出す始末。結局、人でなしの主人にふんだくられてしまうが、何百人といる酒場の常連のなかで、我こそは主人と一番親しい人間だと自負している場合でも、事情は変わらない。半分しか残っていない樽から招待客にビールを注ぎはじめ、お開きのときのビール樽は半分しか空になっていないのに、請求されるのは二樽分のビール代だ。しかじかの値段でしかじかの品質の酒を出すと約束しておきながら、当日になってみると、招いた側も招かれた側も正体不明のとんでもない安酒を飲まされる破目になる。文句を言っても骨折り損で、せっかくの一夜を台無しにされるのが関の山だ。裁判沙汰にするくらいなら、いっそそのまま天国へ直行することをお薦めしたい。酒場の主人というやつは、界隈の大物の政治ボスとつるんでいるので、この手合いと面倒を起こすとどうなるか、一度でも思い知ったことのある人間なら、払えと言われた金額を払って、口をつぐむのが賢明というものだ。

  

 事態を一層深刻にしているのは、精一杯の寄付をしてくれた少数の人たちが大変な苦労をしているという事実だった。たとえば、あわれな店主のヨクバス。彼はすでに五ドルを寄付していたが、ヨクバス・シェドヴィラスが滞っている数カ月分の家賃を払うため、デリカテッセンの店舗を抵当に二百ドルの借金をしていることを知らない者はいないのではないか? それから、すっかり老けこんでいる下宿屋のアニエーレ・ユクニエーネ。三人の子持ちの上に、リウマチまで抱えた未亡人で、その額を耳にしただけで胸が張り裂けそうになるほどの手間賃で、ハルステッド通りの商家の洗濯物を引き受けている。アニエーレはニワトリで得た数カ月分の儲けを全部吐き出したのだった。ニワトリは八羽いたが、彼女はそれを柵で囲った、裏階段の狭い場所で飼っていた。アニエーレの子どもたちは一日中、ゴミ捨て場でニワトリの餌を漁っていた。ゴミ漁りの競争が烈しいときなどには、見つけた餌を横取りされはしないかと心配した母親が、ハルステッド通りの排水溝沿いを歩いている子どもたちの後をつけているのを見かけることもある。ユクニエーネ老夫人にとって、このニワトリの価値は金銭で計ることができなかった——彼女は金銭とは別の基準でニワトリを評価していた。ニワトリによって何かをただで手に入れているという気持ちを——さまざまなやり方で彼女を食い物にしている世間を、ニワトリという手段によって逆に食い物にしてやっているという気持ちを、彼女は抱いていた。そのために彼女は明けても暮れてもニワトリの監視をつづけ、夜でもフクロウみたいに目が利くようになっていた。ずっと以前にニワトリが一羽、盗まれたことがあったが、誰かがまた一羽盗もうと計画していない月は一カ月としてなかった。この一回だけの盗みを防止するために、何十回となく空耳を立てねばならなかったとすれば、ユクニエーネ老夫人の寄付がどんなものであったか、おわかり願えるだろう。前に一度、テータ・エルズビエタから数日間、金を貸してもらったお陰で、借家から追い立てを食わなくて済んだという理由しかなかったのだから。 

 こうしたことをあれこれ嘆いているうちに、取り囲む友人たちの数も増えてきた。話の中身を盗み聞きしようとして、すり寄ってくる者もいたが、この連中こそ今回のごたごたを引き起こした張本人たちだった——これにはいかなる聖人君子でも、堪忍袋の緒が切れてしまうにちがいない。そのうちに誰かに促されて、ユルギスがやってきて、一部始終の説明がもう一度繰り返された。ユルギスは黒くて濃い眉をひそめて、黙って聞いていた。ときどき眉の下あたりをキラリと光らせて、会場を見回した。おそらく、そこいらにいる連中の何人かに、大きな拳骨で殴りかかりたかったのだろうが、そんなことをしても大したプラスにならないことがわかっていたにちがいない。今ここで誰かを叩き出したところで、勘定が安くなるわけでもない。それに悪いうわさだって立ちかねない——ユルギスとしては、オーナといっしょにずらかりたいだけで、世間様は好きなようにやればいい、という気分だった。そこで彼は拳をゆるめて、「テータ・エルズビエタ、済んだことだから、泣いても仕方がないさ」と穏やかな声で言うだけだった。それから、すぐそばに立っていたオーナに目をやった彼は、大きく見開いた目に恐怖の色を見て取った。「なあ、おまえ」と彼は小声で言った。「心配いらん——問題じゃない。何とか全部払うさ。もっとがんばるからな」

 この「もっとがんばるからな」というのは、ユルギスの口癖だった。あらゆる問題の解決策としてのこの言葉に、オーナは慣れっこになっていた。リトアニアで役人にパスポートを取り上げられ、パスポートを持っていないという理由で、別の役人に検束された上に、そのふたりの役人が彼の所持品の三分の一を山分けにしたときにも、彼はこの言葉を口にした。ニューヨークで一同の面倒を見てくれた口達者な旅行代理業者に、べらぼうに高い料金を払わされたばかりか、ちゃんと払ったにもかかわらず、足止めを食いそうになったときにもまた、彼はこの言葉を口にした。それを口にするのは、これが三度目だった。オーナは大きく息を吸い込んだ。夫がいるっていうことは、大人の女になったみたいで、とても素敵なことなのだわ——どんな問題でも片づけることができる、こんな大きくて力強い夫がいるなんて!

 

 セバスティヨナス坊やの泣き声もやっとおさまり、バンドはまたしても仕事のことを思い出させられる。儀式のダンスが再開されるが、今となっては踊る相手の数も少なくなり、やがて間もなく寄付集めも終わると、種々雑多なダンスがまた始まる。だが、すでに真夜中を回っていて、これまでとは様子も違っている。踊っている連中の足取りも重く元気がない——ほとんどの者は酒をしこたま飲んでいて、はしゃぎ回る段階はとっくの昔に過ぎている。何時間もぐるぐる回るダンスのステップは単調だ。深まる一方の昏睡状態で、意識も半分しか働いていないのか、目は中空を見据えたままだ。男は女をきつく抱きしめているが、半時間抱き合っていても、どちらかが相手の顔をながめることもない。踊りたくなくなって、会場の片隅に引き上げ、腕を絡ませたまま座っているカップル。まだやめずに酒を飲んでいて、会場を歩き回っては、片っ端からぶつかっているカップル。ふたりか三人のグループを作って、それぞれのグループで好きな歌を歌っている者たち。時間が経つにつれ、とりわけ若い連中の間で、さまざまな酔態が見られるようになる。お互いに腕を組み合って、センチメンタルな言葉をささやきながら、千鳥足で歩く者。些細な理由で口論になり、殴り合いのけんかをおっぱじめて、引き離される者。例の太った警官も今ではすっかり目が覚めて、いざというときに役に立つかどうか、警棒に触って確かめている。迅速に行動しなくてはならない——午前二時に始まる類いのけんかは、手に負えなくなったが最後、山火事と同じで、署員全員が出動することになりかねないからだ。まず打つべき手は、けんかしている人間を見つけたら、その頭を手当たり次第にかち割ることだ。ぐずぐずしていると、けんかしている人間の数がやたらと多くなって、どの頭もかち割ることができなくなってしまう。この「ストックヤードの裏手」では、かち割られた頭の正確な数は記録されていない。日がな一日、ウシの頭をかち割るのを生業としている男たちは、それがいつもの癖になってしまって、仕事の合間にも友達や、家族の者さえも相手にして、練習に励んでいるらしい。その結果、文明世界全体のために、ウシの頭をかち割るという痛ましい、それでいて必要不可欠な仕事を、ほんの一握りの男たちが近代的な方法で引き受けているという事実は慶賀すべき事柄になるのだ。 

 今夜は乱闘騒ぎは起こらない——例の警官の監視もさることながら、ユルギスもまた、おそらく警官以上に目を配っているせいだろう。ユルギスは相当飲んでいたが、飲んでも飲まなくても、支払いをしなければならないような席では、そうするのが人情の常というものなのだ。だが、彼はひどく冷静な男で、簡単にキレたりはしない。たった一度だけ、あわやという険悪な事態が持ち上がる——しかも、その原因はマリヤ・ベルチンスカスだ。マリヤは二時間ほど前に、例の薄汚れた白いシャツを着た守護神が鎮座している、会場の片隅の祭壇は、彼女の敬慕する詩神たちの真の棲み処ではないとしても、少なくとも、それに代わる場所を地上で求めようとすれば、ここ以外にはあり得ない、という結論に達していたらしい。その祭壇でかなり聞こし召して、けんかっ早くなっているところへ、今夜の寄付金を出していない悪党どもの話がマリヤの耳に入ってきたからたまらない。いきなり、思いっきり毒づくといった前触れさえもなしに、マリヤは乱闘状態に突入し、誰かが割って入ったときには、悪党ふたりの上着の襟は彼女の両手に握られている。幸い、太った警官は事を荒立てるのを好まない男なので、会場から放り出されるのはマリヤではない。

 この騒ぎのために音楽が中断するのは、せいぜいで一分か二分。またしても残酷無比な曲が始まる——半時間も前から、のべつ幕なしに演奏されている曲だ。今回はアメリカの曲で、街で覚えた流行歌。全員、歌詞は知っているらしい——というか、少なくとも、出だしの一行は知っているようで、「昔懐かしい夏の日に——昔懐かしい夏の日に! 昔懐かしい夏の日に——昔懐かしい夏の日に!」と繰り返し繰り返し、休みなしに、口ずさんでいる。この属音が際限なく反復される調べには、どうやら催眠効果があるらしい。それを弾いている連中はもちろん、聞いている者たち全員が昏睡状態に陥る。誰もそこから逃れることができないし、逃れようとさえ思わない。時刻は朝の三時。思いっきり踊って、踊る楽しみは消え失せ、踊る気力も消え失せている。際限なく飲める酒が貸してくれる気力さえも——それでも、誰ひとりとして、踊りやめることを考えつく力を持ち合わせていない。まさにこの月曜日の朝七時きっかりに、ひとり残らず、それぞれの作業服を身につけて、ダラム社なり、ブラウン社なり、ジョーンズ社なりの所定の位置についていなければならない。一分でも遅刻しようものなら、一時間分の給料が差し引かれる。それが一分に留まらないときには、壁にかかっている真鍮製の名札がひっくり返されているのを目撃することになりかねない。そうなれば毎朝六時から八時半近くまで、屠畜場の入り口で立ちん坊をしている腹を空かせた大勢の連中の仲間入りをする羽目になってしまうのだ。この規則に例外はない、新婦のオーナに対してさえも——結婚式の翌日には休日を、それも無給でいいから休日を取らせて欲しいと願い出たのだが、断られたのだった。会社の思いどおりに働きたがっている人間がいくらでもいるご時世に、自分勝手な働き方をしたいなどと言い出す連中に足を引っ張られる理由はさらさらないというのだ。

 可憐なオーナは今にも失神しそうになっている——会場に充満している悪臭のせいで、半ば昏睡状態に陥っているのだ。彼女は一滴も口にしていない。だが、その場にいるほかの者たちは全員、石油ランプが石油を燃やすように、文字どおりアルコールを燃やしている。男たちのなかにはいすや床でぐっすり寝込んだまま、近くへ寄れないほどにアルコールを発散している者もいる。ときたま、ユルギスは彼女のほうに飢えたような視線を投げかけている——とっくの昔に、気恥ずかしさは消え失せてしまったのだ。だが、大勢の客がまだ残っているので、彼としては、馬車がくることになっている戸口のほうを見やりながら待つしかない。その馬車が来ないので、痺れを切らせた彼は、オーナに近づいていく。オーナは顔面蒼白で、わなないている。彼はショール、それに自分の上着をかけてやる。ふたりの家は二ブロックしか離れていないので、ユルギスとしては馬車などどうでもいいような気分だ。

 別れの挨拶などないも同然だ——踊っている連中はふたりに気づかないし、子どもたちは全員、高齢者たちも大半は疲れ果てて眠りこけている。デーデ・アンタナスも眠っている。それにシェドヴィラス夫妻も。旦那のほうはいろいろな音階のいびきをかきながら。テータ・エルズビエタとマリヤは大声を上げて泣いている。それ以外は、東の空の星の光が少しずつ薄らいでいく夜の静寂だけだ。ユルギスは無言のまま、オーナを両腕で抱き上げると、大股で外に出る。オーナは悲しげな声を上げて彼の肩に顔を埋める。家にたどり着いたとき、オーナが気を失っているのか、眠っているのか、彼には判然としないが、ドアの錠を開けるために片手で抱かねばならないときになって、目を開けていることに気づく。                                             

「今日は可愛いおまえをブラウンの工場へいかせたりしないぞ」階段を上りながら、彼はささやく。腕をつかんだまま、彼女はあえぎながら言う。「駄目! 駄目! そんなことはできない! 破産してしまうわよ!」

 だが、彼はこう答える。「おれにまかしとけって。おれにまかしとけって。もっと稼ぐからな——もっとがんばるからな」

 

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〈アメリカ古典大衆小説コレクション5〉『ジャングル』