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2021.5.11Literature Ideas You Really Need to Know 編著者リレーエッセイ ♠ 大学における授業と研究【最終回】ぐんまの先生の先生▶宮本文

Literature Ideas You Really Need to Know 編著者リレーエッセイ ♠ 大学における授業と研究【最終回】ぐんまの先生の先生▶宮本文

✏ 文=宮本 文

 

 教育と研究という大きなテーマが与えられたこのエッセイを、いくつかの群馬の光景から始めたい。それらの光景は反芻され、別の記憶や読んできたものの断片と混じり合って結晶化したもので、わたしにとって、教えるということと、この世界の「あるもの」を掬い取って伝えられたらという欲求の原初的な部分を映し出すものである。尾崎放哉に「入れものがない両手で受ける」という句があるが、この句をこの光景の解題として添えてみたい。

 わたしは2020年まで十年あまり北関東にある群馬大学の教育学部でアメリカ文学と英語を教えていた。英語教育講座の学生は1学年15名程度で、群馬県か群馬と商業圏を共にする栃木県や埼玉県の近接するエリアから来る学生が多く、また卒業後も地元群馬の小学校・中学校・高校の先生になっていく学生が多かった。地方国立大学のなかでもとりわけ土地に根を張った学部である。ロールモデルも常に身近にあり、目標も出口もはっきりしている。そんなところに来るのだから、大抵は高校出たての1年生でも先生っぽさの片鱗がうかがえる。加えて、1年生から始まる大学外での教育実習のおかげで「社会人」として厳しく見られることを刷り込まれるので、大人になるのも早い。

 一方、わたしは30代半ばまで学生を続けてなんとか定職を得た。その上、教員免許も持たず、小・中学校にあまりいい思い出を持たないので、はなから「先生然」のもろもろの勝負では敵わない。そして、東京からほとんど出たことがない他所者である。密かに申し訳ない気持ちがあり、なんだか自分は「にせもの」の先生だなと思っていた。

 もちろん、「にせもの」という言葉を反芻するたびに、山師的な甘美さの方へ横滑りしていく厚顔無恥さも持ち合わせていないわけではない。アメリカ文学の傾向と教員養成の文化風土は一見相入れないエキサイティングな関係だ。ぼんやりと言えば、アメリカ文学は──アメリカ文学に限ったことではないかもしれないが──「先生」として正しいと思われていること、教えられていることに「待った」をかけて、考えるための時間稼ぎする傾向があると言えばいいのか。無論、教員養成課程で文学を学ぶ効用はあり、国に明示的なかたちで表現することはできる。が、その効用書きの余白に埋め込まれている「ゆらぎ、ゆらがせること」というあぶり出しが文学の面目躍如だ。ゆらぐことは考えることである。わたしたちが正しいと教えられたことはすぐに時代の審判を受ける。英語の教え方ひとつとってもそうである。だから、先生として教壇に立ち、いま叩き込まれている内容や教え方、また教員としての立ち振る舞いが否定されたときに、微調整しながらなんとかやり続けるためには考える力が必要なのだ──。

 そんな大風呂敷を心に広げながら、テクストを一緒に読んでいく以外に大して武器もなく、ことに「先生」として徒手空拳な「にせもの」がやぶれかぶれなブラフをかける。それに群馬の学生たちが持つ生真面目さが呼応する。ルーキーの年は蜜月だった。いま思うと、学生は甘やかしてくれたのだと思う。

 そんな感じで群馬での幸せな「にせもの」の先生としての生活が始まった。だが、「にせもの」という意識が根本のところで持つうしろめたさやおそれが消えるわけではなかった。ゆらいだり、考えたりを繰り返しつつ、なんとか生きのびてほしいと思っていた。が、そんなことを言い訳にして実のところ逃げを打ついやらしさがないか。先生っぽくないふるまいで学生を煙に巻き、その生真面目さを自分が逃げを打つためにないがしろにしてはないか。ああ、そうだったと思えたのは教育実習を見に行った先の小学校で、こどものひとりがわたしに「先生の先生」と言ったときだった。

 教育学部の教員は、毎年秋に教育実習の研究授業を見に行く。学生たちは5週間ほど群馬大学附属小・中学校と一部協力校に配属されたあと、県内の至る所に散らばって公立の小・中学校でもう3週間実習をすることになっている。わたしが見学するのは後半の実習で小学校に行くことが多かった。久しぶりに足を踏み入れる小学校は記憶のなかよりもすべてが小さい。ちょっとした身振り手振りで周りにあるものを壊してしまうのではないかと怖くなった。教室に向かうために先生の後をついて階段を登っていると、休み時間のこどもたちが駆け降りてくる。実習生の研究授業の教室に入ると、こどもたちは「先生」の晴れ舞台をなんとか盛り上げようときばっているのがわかる。

 群馬に来てから3年くらい経った頃だったと思う。授業が終わって「先生」と話していると、こどもたちが見慣れない顔に興味津々で取り巻いていた。気づいた「先生」がこどもたちに「大学の先生で、ぼくの先生なんだよ」と紹介すると、ひとりの子が「じゃあ、先生の先生だね」と言う。はにかんでいるけれど、ここにいることに安心しきった声だ。

 教育学部に行くことが決まってから、自分がしたこと、しなかったことが先生になった学生たちを通して群馬県じゅうのこどもたちに行き着くという想像に取り憑かれた。県内の時空のすみずみまで、波紋が広がっていく。パラノイア的な妄想だった。わたしが教室の邪悪な独裁者かどうかは関係なかった。高級な布団を何十枚も重ねてもなおもお姫様の体に痛みを残す、布団の一番下に置かれたひと粒の小さなエンドウ豆のように、わたしの作為・不作為が見えない疵痕をこどもたちに残す。かつてこどもだった自分についた疵痕を思うと、ただ、どんなものであれ疵痕がつけるのが怖かったのだ。だから、妄想を妄想のまま膨れ上がらせて、「にせもの」になることで逃げを打った。

 そして不意打ちで「先生の先生」という言葉につかまり打たれたのだ。際限なく膨らみうねり厚くなる妄想をよそに、ショートカットして最短距離で届く単純な言葉のつらなりが胸を打つ。「そうだよ、先生の先生だよ」とわたしも真似して言葉にする。なんらかポーズをとる暇もなく、言葉のそれ以上でもそれ以下でもない地平に連れていかれる。先回りして、気持ちをすり替えて、恐怖を増幅させていた日々がつかの間遠のく。たとえ自分が絶望した気持ちを抱えていても、だれかの未来の絵まで絶望に浸し「救えない」と恐慌をきたすのは滑稽なナルシシズムだった。

 そして何より、かつての無力さに身を寄せている自分も、実際には相当にしぶといではないか。自分が閉じ込められていた場所が──たとえ、それが教室であっても──たくさんの回路につながっていることを提示してくれたのは教育だった。そのしぶとさは、かき集められたなけなしの知性だの理性だのに支えられている。

 大学向けの英語の教科書を作り始めたのもその頃からだった。知っているはずの風景の新しい見え方、知らないと思っている事柄や土地との秘密のつながりを提示するような文章を選び、組み合わせた。なにかに引っかかるだけでもいいし、願わくは自分なりの回路を見出して欲しい。それが見えてくるのが10年後、20年後だということもあるかもしれない。2021年に作った文学の教科書でも基本的な思いは同じである。無定形な希望だ。そうこうしているうちに、気づけば手からは「にせもの」というあらかじめ用意された入れものは取りさられていた。

 「先生の先生」の光景と対になるのが、教室に向かう前の「休み時間のこどもたちが降ってくる光景」である。おそらくいくつかの小説の断片と混じり合っている。階段の踊り場には高い窓がある。のんびりとした秋の陽光がガラス越しに射しこみ、こどもたちを後ろから照らす。キラキラした小さなかたまり。喜びかなにかを爆発させながら次々に駆け降りてくる。とっさに手を伸ばさなければいけないと思う。身を挺さなければいけない。ぶつかって壊れてしまうのではないかという恐怖。でもそれより前にあるのは、この光景に胸を打たれ、ただただ味わっていたいという欲求だ。そして、この光景が惹起する感触や感情や感覚に見合う入れものを持っていないことに気づく。わたしが用意していたものはすべて取り去られる。だから、直に両手で受ける悦びに浸ることが許される。欲を言えば、それがどんなものなのか、両手で受けた手触りを、指をすり抜け過ぎ去っていく感触まで、言葉が与えられればいいのにと思う。欲深さがもたげる。

 欲深さがもたげるもうひとつの光景は、やはり学生の教育実習先へ向かうために乗った私鉄電車の往復の景色である。群馬での最初の2年間は車で移動していた。が、運転することの責任の重さに耐えきれなくなったことと、自分と属性を同じくする人で構成される車生活の帰結にすこし息苦しくなり、車を売って、間引きされつつあるバスや電車の運行時間に体を合わせていく生活に変えた。わたしが日常的に利用していた高崎-前橋間のJR両毛線や、前橋駅と渋川駅を結ぶ国道17号線を走るバスは比較的乗客が多い。しかし教育実習訪問先である公立の小・中学校はそもそも公共交通で行くことを前提としていないところが多い。バスや電車の路線図と時刻表を駆使して、最寄りの駅や停留所から30分程度なら歩き、それ以上だったらタクシーを呼ぶようにしていた。

 その日は前橋市街地まで出て私鉄電車に乗り込んだ。学生や通勤客もいない昼の人影まばらな車内に乗り合わせたわたしと何人かの人たち。夕方の電車の、制服の高校生たちに混じって乗り込んできたヒジャブをした女性たち。社員証のようなものを首から提げているからこの辺で働いているのだろう。手にはお弁当箱と水筒のようなものが入っている小さな手提げを持っている。車社会の群馬における持てる者と持たざる者の交わらなさに思いが至る。どこをどのように通るのか、誰とすれ違うか、そんなことまで車の有無に規定されることがものすごく多い。

 見えない存在を作りだすこと、地方と都市、外国人労働者、経済格差、車社会、医療や買い物難民、いろいろなことが胸に浮かぶ。この光景を分析して、別の文脈を与えることはものすごく意義があることだ。けれど、それより先にこの光景に、偶然に、静謐さに、叙情を見出し心奪われてしまう。もう癖である。それはどんな感じなのか、願わくは言葉にできればいい。この欲望は、修士論文から抱え込んできた詩と「歩くこと」というテーマに連なっていく。傲慢で暴力的で反動的というそしりを受けるかもしれない。窃視症の傾向があるのは間違いない。自分で勝手に内面化した批判の数々によって何度抑圧してももたげてくる欲望。本当は、そんなふうに内面化した批判を凌ぐだけの努力もせず、腕もなく、何よりも勇気がないことが問題なのだ。

 2017年のジム・ジャームッシュ監督の映画『パターソン』は、俳優アダム・ドライバー演じる、アメリカ・ニュージャージー州の町パターソンでバス・ドライバーをしているパターソンの話である。彼は詩を書き続けている。パターソンで生涯、医師をしながら詩を書き続け、モダニズムの長編詩『パターソン』を残したウィリアム・カーロス・ウィリアムズへの言及である。ウィリアムズの「パターソン」を大胆にずらしながら、ジャームッシュは、パターソンを通して目にしたバスの車窓や乗り合わせた人々の表情や身なり、聞こえてくる会話の断片で「パターソン」を詩的に構成してみせた。

 わたしには、パターソンが勤めるニュージャージー・トランジット社のバスになじみがあった。ニュージャージーに留学していた2年間、橙・赤・青の3色の虹とNJ Transitの文字が車体に描かれたバスを日常的に利用していたのだ。わたしが留学していたニュージャージー州ニューアークも、おそらくパターソンもそれほど治安が良くないエリアである。バスの中にはアジア系らしき者はわたしだけということも多かった。

 きちんとした郊外が広がるガーデン・ステートのニュージャージーで、バスを利用して生活することは、やはり持てる者と持たざる者の交わらなさの問題に行き着く。しかしながら、そのような車窓や車内をさながらに見せながらも、ジャームッシュの提示するパターソンは詩的で豊かだ。バスに乗るという経験が与えてくれる偶然への愉悦や、人々がそれぞれの生活を営んでいることへの賛歌が、抑制を効かせつつ、確かに描かれている。

 最後は「先生の先生」の話に戻りたい。先生なら「間違えている」と学生に言われることは怖い、が、どこかその瞬間を心待ちにしているところがある。その瞬間がわたしにはもったいない形で授業のさなか訪れた。そのアメリカ文学購読の授業には講座の2年生全員に加えて、5年生のある学生が聴講しに来てくれていた。彼はウィリアム・フォークナーの『八月の光』について卒論に取り組んでいた。その日はフォークナーの「納屋を焼く」の最初の部分を原文で読んでいた。出席している学生には初見だが、群馬では何度目かの「納屋を焼く」で、発表も議論もあまり盛り上がってはいなかった。慣れ切ってしまっていたのか、こちらも盛り上げようと空回りする熱意も勇気も低下していた。

 突然、わたしの近くに座っていた5年生が立ち上がり、「間違っている」と言ってわたしのクラスを乗っ取った。ホワイトボードに図を書きながら説明する。そして、「こどもはテクストなんだよ、読まなくてはいけない。だから文学を読むんだよ」と言ったのを覚えている。3年次に8週間にわたる教育実習に行き、卒業後、大半の学生が小・中学校の教員になる。そんな2年生に向けて彼は言ったのだ。

 「納屋を焼く」の主人公の幼い少年サーティは、物語の中では誰にも読まれないテクストだ。誰も読もうとしないで、自分たちの物語を好き勝手に押し付けてくる。それに幼いながらも必死に応えようと板挟みになる健気さと痛ましさ。こどもたちは──そしてわたしたちすべては──読まれるべきテクストだ。何度も読まれ、多くの人に読まれ、大人になるべきなのだ。

 5年生の言葉に2年生はみんなぽかんとした顔をしている。でも、彼はひとり空回りしているのではない。先生の先生のわずかな経験から言えば、最良の対話は引き伸ばされた対話だ。狼狽や恥や反発を乗り越えて、ゆっくりと咀嚼して自分の言葉で答えられるようになったときに返答が届くことが何度もあったではないか。直接受け取らなくても、誰かが代わりにその返答を受け取るだろう。

 わたしがぐんまの先生の先生でいられた間に、身を挺して両手で受ける瞬間が何度もやって来た。自分のあらかじめ用意した入れものでは受け止めきれないことを思い知らされることは僥倖だった。一方で、痛ましい感触も生々しく残っている。実際のところ、「入れものがない両手で受ける」という句を群馬の光景の解題にしたのは、この感触に引きずられたところが大きい。この句が惹起する謙虚さと欲深さ、幸せな記憶と痛ましい感触は、とりもなおさず教育と研究が互いに偶然を生み出す軛としてあることに似ているのだ。

 

❐ PROFILE

1973年生まれ。専修大学 国際コミュニケーション学部 准教授。専門はアメリカ文学。翻訳に『チャールズ・レズニコフ「証言」「モンキービジネス」vol. 7』(ヴィレッジブックス)、『サロン・ドット・コム──現代英語作家ガイド』(分担翻訳、研究社)、『英語クリーシェ辞典──もんきりがた表現集』 (分担翻訳、研究社)。

 

✮ この著者に関連する小社刊行物

『Literature Ideas You Really Need to Know: From “Mimesis” to “Sexual Politics”』

『The World’s Big Deals: Art, Language, Food Education, Work Style and Heritage』

『15 Topics for Tomorrow's World』

『15 Things Happening in Japan』

『15 Things Happening in Japan 2』