2020.6.26尾崎俊介 ✎「ベーシック」から「裏ワザ流」へ
✏ 文=尾崎俊介
850語の英単語だけで、いかなる英作文も可能である──そんな謳い文句に惹かれて室勝氏の『850語で書く英語』という本を繙いたのは学生の頃だった。そしてこの本を通じ、「Basic English」という英語教授法のことや、その考案者たるC・K・オグデンのことを知った。
もっとも、当初、私にはベーシックの意義が理解出来なかった。何しろ850語にまで使用語彙を切り詰めたベーシックの世界には want や drink といった身近な動詞すらないため、「コーヒーが飲みたい」と言う時にもわざわざ I have a strong desire for coffee. と言わなければならないのである。この種の不自然さは、当時の私にはナンセンスに思えたのだ。
そんな私がようやくベーシックの真価に気がついたのは、英語を学ぶ側ではなく、教える側に回ってからである。
私が大学に職を得た90年代初頭、一般教養の英語なんて英米の小説でも輪読していれば良かった。ところが時代を経るにつれ、もっと実用的なことを教えてくれという要望があちこちから上がってくるようになってきたのである。無論、週に1~2回の授業で実用に足る英語力など身に付くわけがないが、学生の方では付くものと思っていて、そうならないのは教え方がまずいのだと授業評価で辛い点をつけてくる。これにはまいった。
で、どうしたものかと悩んでいた時に、ふと浮かんだのがベーシックのことだった。ベーシックで使う単語は850語なので、大概の学生ならその程度の語彙は既に頭の中に入っているだろうし、後はその使い方さえ教えればいいのだから、半期15回の授業でもなんとかなるに違いない。
そこで私は改めてベーシックを研究し始めたのだが、そうしてみて初めて、これが如何に素晴らしい英語教授法であるかを知ることとなったのである。
ベーシックの世界で使う語彙は850語。これですべての英語発話が可能であるということ自体驚くべきだが、さらに驚くのはこの850語の中に動詞が16個しか含まれていないという事実である。対するに名詞の方は最低600個必要だというのだから、比率から言って英語は「名詞中心言語」であると言わざるを得ない。
一方日本語は「動詞中心言語」なので、日本人が英語を発話しようとする時、無意識のうちに動詞の選択に悩む傾向がある。例えば
- 「彼女は赤ん坊をおぶっていた」
- 「彼はパイプをくわえていた」
- 「奥歯がぐらぐらしている」
という3つの日本文を英文に訳せと言われれば、何はともあれ「おぶう(背負う)」「くわえる」「ぐらぐらする」に相当する英語の動詞は何か?と考えがちだ。そしてそれが思いつかなければ、すぐに「自分には英語は無理!」と諦めモードに入ってしまうわけである。
ちなみに、上の日本文をベーシックで英語化すると、それぞれ
- ☞ She had a baby on her back.
- ☞ He had a pipe in his mouth.
- ☞ I have a loose tooth in the back of my mouth.
となる。動詞は全部「have」で済ませて、あとは知らん顔。もし英語が日本語同様、「動詞中心言語」であったならば、絶対にこうはいかない。
となれば、日本語の「動詞中心発想」に慣れた日本人の頭を、英語の特徴である「名詞中心発想」に切り替えるためには、ベーシックこそ最良の訓練法なのではないか?
かくして私は、ベーシックの英語教授法にさらに工夫を加え、日本人学習者向けに特化した独自の英語学習法を考案、それに「裏ワザ流英語術」というキャッチコピーを付けて、10年ほど前から所属大学で学生たちに伝授している。今もコロナ禍中の遠隔授業で裏ワザ流を教えているが、「今まで習ってきた英語は一体何だったのかと思うほど感銘を受けました」などと可愛いことを言ってくれる学生もいる。
ありがたいことに、この度『基本12動詞で何でも言える裏ワザ流英語術』を上梓させていただくことになり、裏ワザ流が所属大学内だけの「秘術」から、全国区に打って出ることとなった。果たしてこれが広く世間に受け入れられるや否や。「裏ワザ流家元」としては期待半分、不安半分。いずれにしても興味津々である。
❐ PROFILE
1963年、神奈川県生まれ。愛知教育大学教授。慶應義塾大学大学院文学研究科英米文学専攻後期博士課程単位取得。専門はアメリカ文学・アメリカ文化。著書に『ハーレクイン・ロマンス──恋愛小説から読むアメリカ』(平凡社新書)、『S先生のこと』(新宿書房、第61回日本エッセイスト・クラブ賞受賞)、『ホールデンの肖像──ペーパーバックからみるアメリカの読書文化』(新宿書房)、『紙表紙の誘惑──アメリカン・ペーパーバック・ラビリンス』(研究社)など。
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